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カワイイだけじゃない異色の空手家。
月井隼南はフィリピンから東京五輪へ。
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph byKushima Makoto
posted2020/07/11 19:00
一見オシャレで華奢な女性に見えるが……試合となると恐るべき気迫を見せる月井隼南。「貧困」をテーマに講演活動なども。
中学2年であっさり日本一の座に。
これまでの月井の人生は「ジェットコースターのような」と表現することが正しいだろうか。
空手の試合では、中学・高校時代はほとんど負けなし。中学2年の時点であっさりと日本一の座についてしまう。高校は関西の強豪校に進学し、シニアの日本代表にも選出された。
しかし無理がたたったのか、17歳からじん帯断裂や半月版損傷など、ヒザの大きなケガに悩まされるようになる。
拓殖大学に進学すると、試合出場もままならなくなり、手術やリハビリのため病院にいる時間が長くなった。結局、ケガを完治し、現役復帰してもそれから5年間は勝利から見放されることとなった。
栄光からどん底へ――。
月井から離れていく人もいた。
「使い捨てではないけど、いまの自分は必要とされていないと思いました」
進路を巡り、父・新さんと対立した。特待生として進学していたので、責任を感じて退学届も書いたこともある。
「なぜ私だけが、こんなしんどい思いをしなければならないのか」
葛藤の日々が続いたが、月井は空手の世界に踏みとどまった。大の負けず嫌いという性格がブレーキをかけた。
「イヤだから辞めたということになれば、イヤという気持ちと一生闘っていかなければならないと思ったんですよ」
選手じゃない自分の姿も輝かせるために。
月井は大学3年から教員免許をとろうと決心する。
「道衣を着ている時しか輝いていなかったら、情けない気持ちになる」と思ったからだ。
「まわりからは『間に合わない』と指摘されたけど、ある先生だけが『サボらずに全部やったら取れる可能性がある』と背中を押してくれたんですよ。その言葉を信じてやっていました」