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八村塁、NBAドラフト指名から1年。
中断、BLM…濃密すぎる激動の時間。
text by
杉浦大介Daisuke Sugiura
photograph byGetty Images
posted2020/06/23 11:30
チームメイトとデモに参加する八村塁。選手としてだけでなく、人間としても多くの経験をした1年であった。
絶えず笑顔を浮かべていた八村。
これほどの喧騒の中でも、八村は絶えず笑顔を浮かべ、落ち着き払っていたことが強く印象に残っている。えんじ色に紺の柄のスーツ、青いシャツ、青の蝶ネクタイに日の丸のピンというファッションでアリーナを闊歩した日本のパイオニア。できる限り楽しもうと決意していたかのように、常に明るい表情で多くのイベントをこなしていった。
「お父さんもお母さんも家族みんなすごいサポートしてくれたので、感謝の気持ちを伝えたいなと思います」
いつもながら口数自体は多くはなかったが、丁寧に家族に感謝を述べる姿を見て、一瞬たりとも逃すまいと殺気立っていた日本メディアも思わず頬を緩めた。
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あんなことはもう二度とないのだろう。今後、NBAの世界に飛び込む日本人選手はまた出てくるかもしれないが、ドラフトで上位指名されるのは容易ではない。たとえすごい素材が上位で指名されたとしても、パイオニアの趣はなくなるだけに、これほどの騒ぎにはならないはずだ。日本の歴史が変わった2019年6月20日は、今後も唯一無二の1日であり続けるはずである。
シーズン中断、我慢の時間。
あれからもう短くない時間が過ぎて、今では日本バスケ界の歴史だけでなく、世界の歴史も少なからず変わった。
NBAでの1年目の八村は平均13.4得点、6.0リバウンドと及第点の成績を残していたが、その戦いは突然、ストップを余儀なくされてしまう。3月11日、ユタ・ジャズの選手が新型コロナウイルス検査で陽性反応を示したことが判明し、NBAのシーズンは中断。以降、パンデミックの中でアメリカのスポーツも完全に動きを止め、ウィザーズと八村も我慢の時間を強いられてきた。