熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
カズ20歳、ブラジルでの洗礼と栄誉。
必殺ドリブルと“日本のガリンシャ”。
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byHiroaki Sawada
posted2020/06/06 20:00
キンゼ・デ・ジャウー時代の三浦知良(前列右端)。日本サッカーの知名度が皆無の中、ポジションを必死につかもうとしていた。
コリチーバで州選手権制覇に貢献。
キンゼもビッグクラブではないが、サンパウロ州はブラジルで最もレベルが高い地域だ。州選手権では、コリンチャンス、パルメイラス、サントス、サンパウロFCというブラジルを代表する名門クラブと真剣勝負ができる。
この連載の初回に書いたように、3月19日、コリンチャンスを相手に1得点1アシストという圧巻のパフォーマンスで、勝利の立役者となった。
サンパウロ州選手権で、キンゼの25試合すべてに出場して2得点。10月、南部パラナ州のコリチーバへ移籍する。コリチーバはブラジル1部の常連で、その3年前には国内王者となっていた。ついに、ブラジルの一流クラブの一員となったのである。
選手層が厚いコリチーバでも主力として活躍し、1989年の2月から8月まで行なわれたパラナ州選手権制覇に貢献した。
ブラジル遠征の日本代表とも対戦。
7月には、ブラジルへ遠征してきた日本代表と対戦。FW長谷川健太(現FC東京監督)、CB井原正巳(現柏レイソルコーチ)らがおり、監督は横山謙三だった。
カズは、将来の日本代表入りを意識して盛んにドリブルを試みたが、力み過ぎてミスが多かった。試合は、コリチーバが1-0で勝った。
この年の9月から12月まで行なわれたブラジルリーグにも出場し、ブラジル各地の強豪クラブと対戦した。
コリチーバでは、21試合に出場して2得点だった。
(9日公開予定の第3回に続く)