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島袋洋奨、母校・興南で新たな人生。
自分の経験を子供たちのヒントに。
 

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栗田シメイ

栗田シメイShimei Kurita

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photograph byHideki Sugiyama

posted2020/06/05 19:00

島袋洋奨、母校・興南で新たな人生。自分の経験を子供たちのヒントに。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

この春、母校・興南高校に“復帰”した島袋洋奨。将来は教員になることを視野に入れながら、自らの経験を次世代へ繋いでいく。

2年の春夏で経験した1回戦負け。

 島袋が甲子園の土を初めて踏んだのは、2年時の春の選抜だ。幼少期からの憧れだったマウンドに立っても、不思議と緊張はなかった。

「甲子園球場の壁はこんな風に高いんだな」

 大観衆の声援がこだまする聖地で、島袋はそんなことを考えていたという。初戦で19三振を奪う快投で強烈なインパクトを残すも、延長戦で力尽きた。続く夏も、ホークスでチームメイトとなる今宮健太率いる明豊に逆転負けを喫している。
 
「2年生の春、夏の1回戦負けがすべてのキッカケでした。終盤に僕が打たれての力負け。同じ失敗を繰り返してしまい悔いが残る結果となった。新チームではこの2つの負けを経験したメンバーが多く残り、『あんな思いはもうしたくない。甲子園で勝てるチームづくりをしよう』と最初のミーティングで何が必要か徹底的に議論したんです。そこから元々キツかった練習が更にキツくなった。僕自身はスタミナ不足が課題だったこともあり、1人で投げ抜くために走り込みの量を圧倒的に増やしたんです」

 新チームでは慶田城開、真栄平大輝、我如古盛次、山川大輔、国吉大陸ら夏の1回戦負けを知る3年生達が中心となった。後にオリックス・バファローズに入団する2年生の大城滉二がショートを守り、他のスタメンは3年生が占めた。翌年の選抜に出場した興南は別のチームのように見違えていた。完封負けと抑え込まれた打線は、前年の鬱憤を晴らすかのように爆発する。

日大三高は「体がデカくて驚いた」

「とにかく先制点を与えないことだけを意識していた。点は取ってくれるという安心感がありました」

 島袋がこう回顧するように、興南打線は5試合連続2桁安打と当たりに当たった。智辯和歌山、帝京らの強力打線を打ち負かす姿に、沖縄県民は歓喜した。準決勝でも大垣日大を打ち崩し、15安打を浴びせ快勝する。決勝の相手は日大三高。強打が売り物の相手打線を島袋がどう抑えるかが鍵だった。

「僕はほとんど緊張しないタイプで。智弁和歌山や帝京といった名門との試合前のチームも、『あの名門校に勝てたら俺たちすごくね!』みたいなノリだったんです。ただ、決勝の日大三高は、同じ高校生と思えないほど体がデカくて正直驚きましたね」

 試合は日大三高が3回までに3点を奪うなど、主導権を握った。興南も自慢の打線が奮起し、お互い一歩も引かぬシーソーゲームとなる。延長12回までもつれた熱戦のなか、島袋は198球を投げ完投。打っても試合を決定づけるタイムリーを放ち、投打で殊勲の活躍をみせた。

 興南はこれまで春は3度の出場を果たしていたが、いずれも1回戦負けを繰り返してきた歴史があった。1勝になかなか届かない時代が続いたからこそ、新チーム始動時に掲げた目標は“甲子園での1勝”だった。そんなチームが勢いにも乗り、周囲の予想を覆しトントン拍子で頂点まで駆け上っていった。

【次ページ】 選抜後も変わらない挑戦者の精神。

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