オリンピック4位という人生BACK NUMBER
<オリンピック4位という人生(10)>
梶山義彦「境界線に落ちた涙」
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byKyodo News
posted2020/05/31 11:30
三菱自動車川崎の外野手・梶山義彦はそのバッティングを買われ、日本打線の7番を担った。
まだら模様のチームをつなぐ7番。
梶山は打力を買われて代表入りしていた。アマの中でいち早く木製バットに順応することができた。事実、アジア予選では4割を超える打率を記録。そのクラッチヒッターが本大会に入った途端、速球にタイミングを合わせられなくなってしまった。
準決勝のキューバ戦に無得点で敗れるとまわりからは得点力不足を指摘され、打線がつながらないのは混成チームの弊害だという批判を受けることになった。
中村紀洋(近鉄)、松中、田中幸雄(日本ハム)という強打者の後ろ、7番を任せられていた梶山はまさにそのつながりを担う男だった。大田垣耕造監督は17打数2安打と絶不調の自分を、メダルをかけた韓国との3位決定戦でも7番で起用してくれた。
そして2回1アウト一、三塁。あの打席が巡ってきた。梶山はそれまでの自分を捨て去ることを決断した。
「まっすぐのタイミングで待っていても打てない。だからスライダー1点張りでした。普段はやらないんですが」
アマの誇りとか、それまでの道のりとか、そういうことをかなぐり捨てて、ただ今、このまだら模様のチームをつなぐためのひとつのピースになろうとした。
あまかったが、無情のファウル。
そんな梶山に絶好球がきた。狙っていたスライダー。真ん中高めのおあつらえ向きのコースに浮いてきた。だから一瞬、力が入ったのかもしれない。待ってましたと差し出したバットは白球の芯を外した。ファウル。無情のファウル……。
「あまかったんです。あまかったんですけど……打ち損じたんです。その一球がとにかく悔しくて、今も忘れられないです」