スペインサッカー、美学と不条理BACK NUMBER
コロナに最後の大舞台を奪われても。
引退アドゥリスとビルバオの稀有さ。
text by
工藤拓Taku Kudo
photograph byGetty Images
posted2020/05/27 19:00
屈強な肉体に柔らかな足元の技術と冷静さ。アドゥリスはバスク出身らしさを凝縮した、いぶし銀のストライカーだった。
コパデルレイ決勝が来季に延期。
その後は股関節痛に苦しみコンスタントにプレーできなくなったが、ここぞという時にはチームを救ってくれる。多くのファンにとって、アドゥリスはそう期待させてくれる選手だった。
それだけに、4月18日に予定されていたコパデルレイ決勝で彼の勇姿が見られなかったことが残念でならない。
アスレティックにとって1984年以来のタイトルがかかったファイナルは、100年以上の歴史を持つ同大会で初めて決勝で実現した、レアル・ソシエダとのバスク・ダービーでもある。
両クラブのファンがスタンドに入り混じり、誇らしげにイクリーニャ(バスク州旗)を掲げる友好のダービーは、レアル・ソシエダの地元サン・セバスティアン出身でアスレティックのアイドルとなったアドゥリスにとって、有終の美を飾るに相応しい舞台だったはずだ。
だがパンデミックの影響により延期となった最後の大舞台は、無観客での開催を望まない両クラブの意向で来季に持ち越されることに。クラブにはコパ決勝までの契約延長をオファーする意向もあったが、本人にノーと言われては諦める他なかった。
「こんなに長く素晴らしい旅路に」
5月22日。サン・マメスのピッチ上で引退セレモニーに臨んだアドゥリスは、綺麗に2メートル間隔で並んだ同僚や記者たちに見守られながら、ゆっくりと言葉をつむぎ出した。
「こんなに長く、素晴らしい旅路になるなんて想像したことはなかった。このユニフォームを着て試合ができることさえもね。それが今、サン・マメスのピッチ上で話すことになるなんて。感謝の気持ちで一杯だ。自分は本当に恵まれている」
アドゥリスとアスレティックの関係は稀有なものだ。
初めての入団は2000年、19歳の時。ビルバオ・アスレティック(Bチーム)を主戦場としながらトップチームデビューに至るも、定着は叶わず22歳で契約満了を迎えた。
その後は下部リーグで出直し、再び声がかかったのは24歳の時。以降3シーズンに渡ってトップチームの主力として活躍したが、2008年には財政難に苦しむクラブの事情により移籍を強いられた。
3度目の声がかかったのはバレンシアでの2シーズン目を終えた2012年。復帰後はとうとう不動の地位を確立し、31~39歳の間に149ゴールを積み上げてきた。
とうの昔に絶たれていてもおかしくなかった両者の関係は、かくして現在まで続くことになった。