ぶら野球BACK NUMBER
こんな時代、いつも心に松井秀喜を。
2冊の著書に滲むゴジラ的楽天主義。
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2020/05/17 11:40
ジャイアンツのユニフォームを着た松井秀喜をもう一度みられる日は来るのだろうか。
倦怠期のないまま別れた恋人のような存在。
このプロ野球がない寂しい日々、多くの野球本を読んだが、心に沁みたのは「大抵の疲れや悩みは、おいしいものを食べて、ゆっくり寝れば解消されてしまう」というスタンスで生きる松井の著書の数々だった。
真っ当であり、王道。かと思えば、東スポの60周年お祝いコメントに「現役時代の唯一の後悔は、東京スポーツと仲良くしてしまったこと」なんてかますユーモアもある。
巨人ファンにとって、今も背番号55は特別な存在だ。2002年に50本塁打と日本一を置きみやげに、ニューヨークへ旅立ち、そのままアメリカでユニフォームを脱ぎ、最後までWBCの日本代表とも縁がなかった。頭の中のイメージは28歳の絶頂期の姿のまま止まっている。
つまり、松井秀喜は倦怠期のないまま、最も盛り上がった時期に別れた恋人のような存在だ。今、いっちゃうのかよ……と。最強の時に、最高の思い出とともにいなくなってしまった。
ある意味、ONを超えている。
長嶋茂雄も王貞治も、ファンと長い時間を共有しながら緩やかに衰え引退して、40歳前後で巨人監督に就任。ともに一度目の監督は追われるようにユニフォームを脱いでいる。
あのONでさえ、その去就は組織にイニシアチブを握られていた。だが、ニューヨーク在住で現ヤンキースGM付特別アドバイザー松井の場合は、毎年のように噂されている巨人監督の座も本人の意志次第という雰囲気だ。
ヤンキースと巨人という日米の名門球団をフラットに選べる。そんな立ち位置にいる野球人は、地球上で松井秀喜ただひとりではないだろうか。ある意味、現在45歳のゴジラは40代のONを超えているのである。
由伸政権は3年で終わり、阿部慎之助が二軍監督を務める令和の原巨人。気が付けば松井監督というカードは、巨人が危機的状況に陥った際の最後の切り札という雰囲気すらある。