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賭博問題に疫病、ベーブ・ルース。
100年前と現代MLBの奇妙な相似。 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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posted2020/05/01 11:30

賭博問題に疫病、ベーブ・ルース。100年前と現代MLBの奇妙な相似。<Number Web> photograph by AFLO

全米の人気者だったベーブ・ルース。1920年はちょうどスペイン風邪の流行期だった。

ヤンキースタジアムはルースが建てた。

 結局、1920年のルースは54本塁打を記録し、前年の29本からほぼ倍増した。

 これがどれほどすごい記録かは、アメリカン・リーグ8球団の総本塁打数が369本だったことからもわかる。1球団平均で46本、それもヤンキース以外の7球団の各チーム本塁打数は、ルース1人の本塁打よりも少なかったのだ。ちなみにナショナル・リーグにいたっては261本だった。

 ヤンキースの観客動員は128万9422人に達した。前年は61万9164人だから、ニューヨークでも倍増となった。それとは対照的に、ルースを放出したレッドソックスは40万2445人とさえなかった。

 ヤンキースが使用していた球場のポロ・グラウンズは、もともとナ・リーグのニューヨーク・ジャイアンツの本拠地でヤンキースは間借りしていた。

 この年のジャイアンツの観客動員は92万9609人。間借り人が大家よりも大入りなのは面白くないと、ジャイアンツのオーナー兼任監督のジョン・マグローは「ポロ・グラウンズを使うな」とヤンキースに通告する。そこでヤンキースは新球場の建設に着手し、1923年に開場した新球場ヤンキースタジアムは「ルースが建てた家」と言われる。

 ルースがプレーしたころのポロ・グラウンズは、右翼まで79mしかなかった。1920年の54本のうち29本はポロ・グラウンズで打ったものだった。ルースの記録的な本塁打は、この恩恵を受けてのものだったのは間違いない。

 しかし25本は他球場でのものだ。仮にポロでのホームランを全部無効にしても、25本塁打のルースは余裕で本塁打王だったのだ。

シスラーの安打記録、賭博問題。

 ちなみにア・リーグ本塁打2位は、セントルイス・ブラウンズのジョージ・シスラーの19本。シスラーはこの年、MLB新記録のシーズン257安打を打った。この記録は2004年にマリナーズのイチローが抜くまで84年間も破られなかった。ルースの前に影は薄かったが、もう1つの大記録も生まれていた。

 なおこの年、MLBは大きなスキャンダルに見舞われていた。前年のワールド・シリーズでホワイトソックスの主力選手が野球賭博に勧誘され八百長に関与したと報道されたのだ。

 MLBは1920年11月に連邦地裁判事のケネソー・マウンテン・ランディスを初代コミッショナーに迎えた。ランディスコミッショナーは、ジョー・ジャクソン、エディ・シーコットらホワイトソックスの8選手を永久追放にした。

 これによって、MLBの信用は地に落ちたが、ホームランの量産で日増しに高まるベーブ・ルース人気が、それを覆い隠した。

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