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野茂英雄メジャーデビューから25年。
永遠に語り継がれるべき歴史的1日。
posted2020/05/02 20:00
text by
笹田幸嗣Koji Sasada
photograph by
Getty Images
あれから25年。歴史はここからはじまった。
1995年5月2日。カリフォルニア州キャンドルスティック・パーク。背番号16をつけたロサンゼルス・ドジャースの野茂英雄は、記念すべきメジャー第1球をサンフランシスコ・ジャイアンツのリードオフ、ダレン・ルイスに投げ込もうとしていた。
上空には澄み切った青い空が広がっていた。サンフランシスコ湾からは特有の強い海風が舞い込む昼下がり。初の出来事に、大挙して訪れた日本報道陣は300人近くにも及び、ジャイアンツ広報部は当時、球場を併用していたNFL・サンフランシスコ・フォーティナイナーズの記者席を日本メディア専用プレスボックスとして解放したほどだった。
喧騒。数々の日本人メジャーリーガーのデビューを取材してきたが、この時ほど“ざわついた現場”はお目にかかったことがない。イチロー、松井秀喜、松坂大輔らのデビューも報道陣の数で言えば引けを取らなかったかもしれないが、流れていた空気がまったく違う。野茂の挑戦をまだ素直に受け入れられていない“反感”を持った記者も多くいた。
日本球界が浴びせた批判の数々。
わずか5カ月前、彼は「裏切り者」「ルール違反」「金の亡者」など、数々のレッテルを日本で貼られた。
本人にしてみれば、日本のプロ野球統一契約書で選手に認められていたたったひとつの権利、任意引退の立場を手にし、夢を追い求めようとしただけだった。なのに、当時の日本球界は一部メディアを巻き込み、「裏切り者」などと批判し、彼を追い込もうとした。
帰る道のない片道切符。それでも野茂は外圧に屈せず、己の意志を貫き通し、夢舞台に向け、ひとり歩き出した。日本では、メジャーでプレーすることなどまだ誰も想像もできなかった時代に前人未到の4年連続最多勝、奪三振王を手にした日本球界屈指の投手の心は折れなかった。