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賭博問題に疫病、ベーブ・ルース。
100年前と現代MLBの奇妙な相似。 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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posted2020/05/01 11:30

賭博問題に疫病、ベーブ・ルース。100年前と現代MLBの奇妙な相似。<Number Web> photograph by AFLO

全米の人気者だったベーブ・ルース。1920年はちょうどスペイン風邪の流行期だった。

ヤンキースの金銭トレードで……。

 しかし1920年、レッドソックスは年俸の倍増を求めるルースをニューヨーク・ヤンキースに金銭トレードした。

 チーム随一のスターだったルースをトレードに出したレッドソックスは、以後、2004年まで86年間もワールド・シリーズで勝てなかった。後年これは「バンビーノの呪い」と呼ばれるほど有名になった。バンビーノ(赤ん坊)は、ルースの愛称だ。

 ルースがヤンキースにトレードされたのは1920年1月5日のこと。その11日後にあたる1月16日には悪名高い「禁酒法」が施行されている。

 ボストンの街に愛着があったルースは、2月28日にようやくヤンキースの春季キャンプ地であるフロリダ、ジャクソンビルに向かった。

 練習では右手にグローブをはめて三塁を守ったりした。全米から報道陣が詰めかけたが、ルースは葉巻の広告の写真撮影に応じただけで、練習が終わるとすぐに姿を消した。ルースは練習後、盛り場に遊びに行っていたと言われている。

開幕直後、本塁打が出なかった。

 4月14日にペナントレースは開幕したが、ルースのバットは湿っていた。安打こそ出たものの4月の長打は二塁打1本だけ。ポロ・グラウンズに駆け付けた観客をがっかりさせた。同22日には試合前の打撃練習で背中を痛め、1打席目に三振するとそのままベンチに引っ込んで2試合を欠場したこともあった。

 ニューヨークのファンがいらいらする中、ルースは4月29日にスタメンに復帰する。そして冒頭で記したように、5月1日のレッドソックス戦で前年までチームメイトだった左腕のハーブ・ペノックから6回1死走者なしから右翼に大ホームランを打った。打球はポロ・グラウンズの右翼席の屋根の遥か上方を飛んでいったという。

 この一発で一気に調子に乗ったルースは、5月に当時の月間記録である12本塁打を放つ。6月にも12本、そして7月はこれを更新する13本塁打である。7月19日にはルース自身が前年打ち立てたシーズン29本塁打を易々と抜いた。

「ルースはどれだけホームランを打つのか?」

 ニューヨークっ子の話題の的となり、連日、多くのファンが球場に詰めかけた。

【次ページ】 ヤンキースタジアムはルースが建てた。

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