酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
賭博問題に疫病、ベーブ・ルース。
100年前と現代MLBの奇妙な相似。
posted2020/05/01 11:30
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
AFLO
100年前のちょうどこの日、1920年5月1日、ニューヨークのポロ・グラウンズでニューヨーク・ヤンキースのベーブ・ルースは、ボストン・レッドソックスの左腕ハーブ・ペノックから右翼に特大のホームランを打った。
これがルースのこのシーズン1号、そしてMLBの新たな歴史を拓く一発になった。
ルースは1895年にボルチモアに生まれた。1914年に当時マイナーチームだった地元のボルチモア・オリオールズに入団。7月にボストン・レッドソックスにトレードされる。
188cmと当時としては大柄なルースは、1915年にはローテーションの一角を担う先発左腕投手となり18勝、翌1916年には防御率1位のタイトルを獲得。エースにのし上がっていく。同時に、打者としても1915年から毎年ホームランを打ち、怪物ぶりをあらわしていく。
第一次世界大戦にスペイン風邪。
アメリカは1917年、第一次世界大戦に参戦。メジャーリーガーの出征が相次ぎ、1918年になると野球どころではない空気になった。なおこの年のペナントレースは9月1日に打ち切られる。
選手が少なくなる中、レッドソックスのエド・バロウ監督は、打撃の良いルースを打者としても起用する。ルースは短縮されたシーズンで13勝を挙げるとともに11本塁打を打ち、本塁打王に輝いた。10勝、22本塁打の成績を残した2016年の大谷翔平と比較されるのは、この年のルースなのだ。
またこの年には、北米が感染源と言われるスペイン風邪が世界中に広がる。このパンデミックは1920年まで断続的に続き、MLB関係者にも死者が出た。ルースも罹患したが、短期間で回復したという。
翌1919年、ルースは打者に転向の意向を示す。130試合に出場し、投手としての出場は17試合だけ。そして29本塁打を打った。MLBのシーズン本塁打記録は1884年、シカゴ・ホワイトストッキングスのネッド・ウィリアムソンの27本だったが、ルースはこれを35年ぶりに更新した。この活躍ぶりにアメリカの野球ファンは大いに沸いた。
1918年のレッドソックスの観客動員は24万9513人、1試合当たりわずか3564人だったが、1919年には41万7291人。1試合6323人とほぼ倍増したほどである。