バレーボールPRESSBACK NUMBER
Vリーグ優勝セッターが突然の退団。
“先生”へ転身した中根聡太の決意。
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byV.LEAGUE
posted2020/04/07 11:00
ジェイテクトSTINGSの一員としてVリーグ優勝に貢献した中根聡太(中央奥)。春から母校・星城高校で後進の指導にあたる。
中根が見つけた生きる道。
教員になりたい、指導者になりたいと思い始めたのは中学生の頃。小学校、中学校と全国大会に出場するいわばエリートだった。当然ながら幼心に「バレーボール選手になりたい」と夢見たこともあったが、父は「バレーボールで食っていけるほど甘い世界じゃない」と現実を説く。ならば自分がバレーボールに携わり、生きる道は何か。そこで見つけた答えが「教員になること」だった。
愛知・星城高校入学時にも「将来は教員になりたい」と言い、地元の大学進学を希望していたが、同級生の石川や川口太一、武智洸史など、今も幅広い場所で活躍する面々と共に2、3年時にはインターハイ、国体、春高の三冠を2年連続で制し、六冠を達成。卒業後は筑波大へ進学し、そこでも1年からレギュラーに。大学でもコツコツ地道な努力を重ね、インカレでも二度準優勝を果たした。
学生時代の華々しい戦績を残し、卒業後はそのまま教員になり、指導者としての道を歩む。その選択肢がなかったわけではない。だが、1人のセッターとして将来を目指さないか。地元・ジェイテクトからの誘いを受け、もう少し選手としてのチャレンジを続けたい、とVリーグの門を叩く。入社1年目の2018年5月には、黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会で決勝進出。これまた十分すぎる成果ではあるが、本来の力ではない。中根はそう言う。
「僕だけじゃなく西田や郡(浩也)、若い選手の勢いもあって決勝まで行けましたが、結局厚みはなく薄いから2位止まり。だからその次のシーズンが苦しくて、自分の中で『来シーズンがラストだ』という気持ちになったんだと思います」
2018/19シーズンはベンチすら入れず。
人生で5本の指に入る。
そう断言するほど、昨年の2018/19シーズンは中根にとってはまさに「壁」と言うべき、苦しい日々だった。
Vリーグが開幕しても試合に出ることはおろか、ベンチにも入れず、試合前の公式練習でスパイクを打つ選手のボールをジャージ姿で拾った。それもトップリーグの選手である以上、避けられない経験ではあるが、中根のバレーボール人生を遡ると、これほど試合に出られなかった経験はない。
自意識過剰だと思いながらも、自分の姿を見に来てくれたファンや母親、その人たちはこの自分の姿をどう見ているのだろう。不甲斐ない自分に腹が立つと同時に、情けなくて仕方がなかった。
恩師である竹内監督から「そろそろ戻ってこないか」と打診されたのも、同じ頃。嬉しさと、選手である今抱く悔しさと、自分にできるのかという不安。さまざまな感情が入り乱れた。だが、石川や深津旭弘、深津英臣、すでにコーチとして実績も積む深津貴之など、そうそうたる卒業生がいる中、「お前にやってほしい」と託される幸せ以上のものがあるか。
自ずと、覚悟は決まった。
「この1年にかけよう、と。でも、やると決めたら、今ここで結果を残せなければ意味がないし、成長できたとは言えない。何が何でも結果を出そう、と自分の中で断固たる決意ができました」