バレーボールPRESSBACK NUMBER
Vリーグ優勝セッターが突然の退団。
“先生”へ転身した中根聡太の決意。
posted2020/04/07 11:00
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph by
V.LEAGUE
スポーツ界で相次ぐ、大会中止。日本のみならず世界の危機であり、今は我慢の時期。命のためだ。異論はない。
だが、それでも嘆きはある。
3月23日。ジェイテクトSTINGSの公式ホームページ、公式Twitterで発表された、セッター・中根聡太の退団。約1カ月前には無観客で行われたVリーグ決勝で、パナソニックパンサーズとのフルセットに及ぶ激闘を制し、優勝セッターとして歓喜の輪の中で喜ぶ姿を見たばかりなのに。
また悪い癖が出る。退団、引退は覆らないとわかっていても、浮かぶのは「たら」「れば」ばかり。3月25日から29日まで天皇杯・皇后杯バレーボール選手権大会が行われるはずだった。もし予定通り、開催されていたら、ユニフォーム姿で送り出すことができたじゃないか、と。
MVP西田を支え、石川とは同級生。
突然の「退団」発表。
誰しも決断に至る背景はあるが、きっと報告を受けた多くの関係者やファンが最初に抱いた感情は、寂しさを除けばおそらく「なぜ?」ではないだろうか。
まだ24歳。ようやく今季ジェイテクトでレギュラーセッターとしてコートに立ち続け、MVPを受賞した西田有志との鉄壁の攻撃ラインを構築した。加えて言うならば、小学校、中学校、高校では石川祐希と誰より長い時間、共にプレーしてきたセッターも中根だ。
日本代表で活躍が期待される2人のスパイカーと、一度のみならず「優勝」を成し遂げたセッター。見据えるべきその先は、指導者の道である前に、日本代表であってもいいのではないか。それは決して、淡い願望ではないはずなのだが、「一度も考えたことすらない」と言うのは、他ならぬ中根自身だった。
「高校の時に竹内(裕幸)先生から『お前はそんな選手じゃない。ここで終わる選手だ。だから、お前がトスをあげて育てた選手がオリンピックに出れば十分じゃないか』と言われたんです。その時はムカつきましたよ。俺の人生、勝手に決めるなよ、って(笑)。でもだからこそ反骨心が芽生えたし、それも俺の役割なのかな、とも思ったんです」