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Vリーグ優勝セッターが突然の退団。
“先生”へ転身した中根聡太の決意。
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byV.LEAGUE
posted2020/04/07 11:00
ジェイテクトSTINGSの一員としてVリーグ優勝に貢献した中根聡太(中央奥)。春から母校・星城高校で後進の指導にあたる。
勝つたびにやっぱりいいな、と。
優勝を置き土産に、次のステージへ進む。
これ以上、完璧なフィナーレがあるだろうか。
そう心から称える一方で、また異なる感情も抱く。
もっとできるのではないか。せめてあと1年、いやもう2年。だが、そんな欲目も中根には、きっぱり否定する理由がある。
「確かに、勝つたびにやっぱりいいな、と思っちゃうんです。もう少し、という思いも何度かよぎりはしました。でも最終的には、僕が現役として続けてもバレーボール界に残せるものってあんまりないんじゃないか、と。これは勝手な思い込みかもしれないですけど、僕はトスの技術や精度、人間性で関田(誠大)さんと深津(英臣)さんには100%勝てない。今、Vリーグで出ているセッターは小さな選手が多くて、大きい選手がなかなか出てこない現状も考えた時、自分が出るのではなく、指導者になってそういう人材を育てるのもいいかな、そのほうが価値はあるんじゃないか、と思ったんです」
「将来は子供を聡太に預けたい」
春は別れの季節。そして、出会いの季節でもある。
小学生からここまで、バレーボール選手として歩んだ人生を振り返り、浮かぶのは数多の出会い。「いいスパイカーに恵まれた」「いいリベロがボールをつないでくれた」「いい指導者に教えてもらえた」。口を開けば感謝、感謝しかない。
だが、どれほど個性の強いチームの中でも、勝つことに貪欲で、そのための努力を重ね、コートでは強気。かつ献身的で、チームを束ねるリーダーシップ。セッターとして、1人の選手として紛れもなく、中根聡太は唯一無二の存在でもあった。
それは、退団、引退が発表された日、同級生や先輩、下級生、多くの仲間が「将来は子供を聡太に預けたい」とそれぞれのSNSに記し、新たな道へ進む、中根を送り出したのが、何よりの証でもある。
「僕はバレーボールが大好きなのでバレーボールの人口、バレーボールを見てくれる人が増えてほしいと本当に思っていて、西田や石川、ワールドカップのおかげでたくさんの人に見てもらえる今を本当に幸せだと思っています。でも、選手として過ごしても、教員として過ごしても1年の時間は一緒。それならば僕は早く指導者になってキャリアを重ねたい、と思ったので次に進むことを決めました。また、一から勉強です」
桜が咲き誇る4月。六冠を達成した母校・星城高で、今度は選手ではなく先生として新たなスタートを切った。
我慢の時を乗り越え、再び開幕するVリーグのコートでジェイテクトのユニフォームを着てコートに立つ姿は見られなくとも。彼に憧れ、彼を慕い、彼が育てた選手がいつか同じ場所に立つ。
また来年、美しく咲く桜を心待ちにするように。中根“先生”のこれからを描く。そんな楽しみ方も、きっと、悪くないはずだ。