メジャーリーグPRESSBACK NUMBER
“写真家”ランディ・ジョンソンも!?
911の時のWシリーズ、濃厚な思い出。
posted2020/04/05 11:30
text by
ナガオ勝司Katsushi Nagao
photograph by
Getty Images
このまま今年は開幕しないんじゃないか? という不安を抱えながら、毎日、見ている「MLBネットワーク」チャンネルはこのところ、ドキュメンタリー番組の再放送から過去の名勝負の中継録画に移行している。
4月2日放送の目玉は2001年のワールドシリーズで、同シリーズ4連覇を狙う伝統球団ヤンキースと創設4年目の初優勝を目指す拡張球団ダイヤモンドバックスの対決だった。
ダイヤモンドバックスの2連勝で始まったシリーズは、ヤンキースが地元ニューヨークでデレク・ジーターの「Mr. November」(10月31日に開催された試合だが、ジーターがサヨナラ本塁打を放った時には0時を過ぎて11月1日になっていた)などで3連勝して、大いに盛り上がった。
それは2001年が同時多発テロ(同年9月11日)の起こった年で、「グラウンドゼロ=爆心地」の1つがニューヨークだったため、多くの人が「今年はヤンキースに勝たせてやろうぜ」と感じていたからだ。
そこに立ち塞がったのがダイヤモンドバックスの「右のエース」カート・シリングと、「左のエース」ランディー・ジョンソンだった。
208センチが放つ150キロ台後半の球。
とくにジョンソンは、チームが対戦成績2勝3敗と追い込まれた第6戦に先発して7回2失点と好投。第2戦の3安打完封に続いてシリーズ2勝目を挙げると、前夜104球も投げたにも関わらず、第7戦では1-2と1点リードされている8回2死一塁の場面に救援登板してヤンキースに追加点を許さない。
そのまま9回表のマウンドにも上がってダイヤモンドバックスの球団史上、もっとも重要な4つのアウトを奪い、その裏のサヨナラ勝ちによりシリーズ3勝目を挙げる大活躍だった(シリングと共にシリーズMVPにも輝いている)。
日本人にとって、現役時代のジョンソンはすべてにおいて規格外の人だった。
208センチの長身からスリークォーターで時速150キロ台後半の速球や「左打者の背中から曲がる」と言われたスライダーを投げるというだけでも別格だが、まるでヘビメタのリードギタリストのような長髪でニコリとも笑わない勇猛な姿が圧倒的だった。