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トータルフットボール、もう1人の
申し子。レンセンブリンクの生涯。 

text by

ロベルト・ノタリアニ

ロベルト・ノタリアニRoberto Notarianni

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photograph byL'Equipe

posted2020/04/02 07:00

トータルフットボール、もう1人の申し子。レンセンブリンクの生涯。<Number Web> photograph by L'Equipe

ビッグクラブでの活躍は無いが、ロベルト・レンセンブリンクの存在なくしてオランダ代表の躍進は無かった。

オランダに厳しかった、W杯決勝の笛。

「あと5cmずれていたら、歴史は書き換えられていた。オランダは世界チャンピオンとして後世に名を遺したし、僕も決勝ゴールを決めた男として称賛を集めていたはずだった」

 決勝があった'78年6月25日以来、レンセンブリンクが幾度となく繰り返してきた言葉である。

 その後の展開は、オランダとレンセンブリンクにとっては悪夢に等しかった。

 試合は1対1のまま延長に入り、マリオ・ケンペスとダニエル・ベルトーニのゴールでアルゼンチンがオランダを突き放した。6得点をあげたケンペスは、大会得点王(2位はレンセンブリンクとテオフィロ・クビジャスの5得点)と最優秀選手に輝いたのだった。

 だが、敗れたレンセンブリンクがその後の人生を泣きぬれて過ごしたわけではない。彼はポストを直撃したシュートについて語るとき、必ずこう付け加えたのだった。

「幻想は何も抱いていなかった。たとえ僕のシュートが入っていても、レフリーがゴールを取り消す理由を必ず見つけていただろうから。ブエノスアイレスのプレッシャーは半端なかった。アルゼンチンは自国で開催されたワールドカップで勝つことを義務づけられていた」

 冷徹なまでの明晰さか、それとも過度の苦しみの結果か――。レンセンブリンクとオランダ代表が感じていたのは、自分たちの不運と《呪われた部分》だったのかもしれない。

 彼らは4年前にも、西ドイツで同じ経験をしていた。

 決勝で西ドイツと相対したオランダは、2次リーグのブラジル戦で選手に負傷者が続出し、開催国に厳しい結果を突き付けられたのだった。

ふたつのW杯決勝での活躍。

 ヨハン・クライフに率いられ、西ドイツ大会を席巻した革命的なトータルフットボールは、その強烈なインパクトで決勝でもゲームを支配しながら、前半を終えて1対2と西ドイツにリードを許し後半の巻き返しを期した。だが、レンセンブリンクにその機会はなかった。ルネ・ファンデケルクホフと交代した彼は、後半は仲間の戦いをベンチから見守るばかりだった。無為に時間がすぎるままにオランダは敗れ、彼は西ドイツの優勝を空しく見届けたのだった。

 ただ、レンセンブリンクが残した痕跡は、ふたつのワールドカップ決勝だけに限らない。2012年に発覚した退行性の疾病(進行性筋萎縮症)により72歳で亡くなった彼は、偉大なフットボーラーとしての思い出を数多くこの世に残した。

【次ページ】 クライフとそっくりだった外見。

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