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ドイツでの半年で変貌した川口太一。
同級生・石川祐希らに刺激も受けて。
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byYusuke Kurosawa
posted2020/03/26 19:00
昨季のフィンランドに続き、今季も海外でプレーした川口。プレーヤーとしてだけでなく、1人の人間としての視野も広げた。
ドイツで芽生えた「プロ」への意識。
また、チーム内に限らず、現地で知り合った人と話し、ドイツの人々の多様な生き方を知ったことで、川口自身の生き方のビジョンも大きく変化したと言う。
「前までは、(名古屋で)ずっとこのまま安定した正社員としてプレーを続けていくのかなと思っていたんですけど、今回、いろんな選択肢や可能性が見えたことで、自分がやってみたいなと思うことにチャンレンジするのがいいんじゃないかなと思うようになりました。プロになることにも今はすごく興味があります。
正社員じゃなくなったら、リスクというか、将来不安定な生活になるかもしれない。プロでやって成功するかしないかはわからない。でも仮に成功しなかったとしても、それで自分の人生が終わるわけじゃないし、また違う人生があると思う。
今まではそういう選択肢を見るだけの視野の広さがなかったんですが、今回、いろんな人たちと出会って話す中で、選択肢はいっぱいあるし、作れるし、自分次第でいろんな可能性が広がるんだなと、すごく感じました」
石川祐希と高校三冠、すぐにVリーグへ。
プロになるという選択肢が膨らんだのは、ヨーロッパでプレーする日本人プロ選手の影響も大きかった。
川口は星城高校時代、今では日本代表のエースとなった石川祐希(パドヴァ/イタリア)たちとともに2年連続高校三冠(インターハイ、国体、春高バレー)を成し遂げた。高校卒業後、チームメイトはみな大学に進学したが、川口は豊田合成に入社し、V・プレミアリーグ(現在のV.LEAGUE DIVISION1)の世界に飛び込んだ。
豊田合成には古賀幸一郎という絶対的な守護神がいて、試合に出るハードルは高かった。そこで1年目には、イタリア・セリエAのモデナに短期留学した石川とともに、川口も練習生としてモデナで約3カ月間過ごした。3年目には豊田合成で、レシーバーとしてセット終盤の重要な守備固めを任されるようになった。
それでも、スターティングリベロとしての出場を求めて、昨季フィンランドに渡り、今季、ドイツリーグへとステップアップした。
これまで川口が選んできた道もかなりのチャレンジに思えるが、今季、プロ選手として活動する同級生の石川や、同じドイツリーグでプレーする柳田将洋(ユナイテッド・バレーズ)たちと話す中で、大きな違いを感じたと言う。