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ライガー、WWE殿堂入りの理由とは。
かつて馬場とカブキは辞退した!?
posted2020/03/19 20:30
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
L/Naoya Sanuki R/AFLO
“世界の獣神”に、またひとつ大きな勲章が加わった。
今年1月4日、5日の新日本プロレス・東京ドーム大会で現役を引退した獣神サンダー・ライガーが、世界最大のプロレス団体WWEの殿堂入りすることが発表されたのだ。
日本人レスラーとしては、アントニオ猪木、藤波辰爾に次ぐ、史上3人目の快挙となる(この他、レガシー部門では力道山、ヒロ・マツダ、新間寿がいる)。
アントニオ猪木は1970年代から'80年代半ばにかけてWWE(当時WWF、WWWF)と提携していた新日本プロレスの総帥であり、WWEの総本山であったマディソン・スクエア・ガーデン(MSG)を含めた日米のリングを股にかけて活躍。
'78年には一連の異種格闘技戦での功績からWWF世界格闘技ヘビー級王者に認定されている。さらに'79年11月30日には、徳島でボブ・バックランドを破り、日本人初のWWFヘビー級王者にも輝いた(ただし、現在WWEの公式記録からは何らかの理由で消されている)。
世界中に影響を与えたライガー。
藤波辰爾は、'78年1月23日にニューヨークのMSGで、カルロス・ホセ・エストラーダを初公開のドラゴンスープレックスホールドで破り、WWWFジュニアヘビー級王座を奪取。新日本とWWEの蜜月時代には、WWFインターナショナルヘビー級王者にも君臨し、このベルトを巡って、長州力と“名勝負数え唄”と呼ばれる抗争を展開した。
さらに'91年3月21日の新日本プロレス・東京ドーム大会では、レジェンド中のレジェンドであるリック・フレアーを破り、NWA世界ヘビー級王座を奪取。これらの活躍が認められ、殿堂入りをはたしている。
こうして見ると、猪木や藤波と比べて、ライガーはWWEやアメリカでの活躍、及び実績は乏しいように思える。しかし、ライガーは日本を主戦場にしながらも、世界中のプロレス界に多大な影響を与えたことが評価されているのだ。