JリーグPRESSBACK NUMBER
梁勇基が明かした鳥栖移籍の理由と
仙台の21歳へ「あえて重圧をかける」。
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph byJ.LEAGUE
posted2020/02/26 20:00
プロ16年目で初の移籍となった梁勇基。新天地・鳥栖での活躍を誓った。
本人も驚いたJ1からのオファー。
梁勇基は、その後輩の熱い思いも胸に留め、現役続行の道を探った。次のクラブが決まるまでは、先が見えない不安もあった。
「正直、どうなるんか分からんかった。でも、見つからんときは辞めなあかんし、それはしゃあないことやなって」
鳥栖からオファーが届いたときには驚いた。カテゴリーを落とすことも視野に入れていたが、まさかのJ1クラブからの誘いである。
「普通に考えて、この年齢ではなかなかないこと。ほんまにありがたい。年を取っているのは事実。ピッチでどれだけのものを見せられるかどうかやと思ってる」
1人のゲームメーカーとして評価してくれたのは、同学年の指揮官だった。鳥栖の金明輝監督とは、小中高とピッチで顔を合わせてきた仲。大阪朝鮮高校時代に対戦したときのことはよく覚えている。当時、金明輝は和歌山・初芝橋本高のセンターバックとして立ちはだかっていた。
「まるで壁のようだった。ことごとく攻撃を止められた記憶がある」
「鳥栖のためにも、監督のためにも」
顔見知りにとどまらず、自然と会話も交わしていた。阪南大時代には先にプロ入りした金明輝にJリーグの様子を聞いたこともある。指導者になってからの活躍ぶりも当然知っている。
「いつかは一緒に仕事をしたいと思っていた。だから、オファーをもらったときはうれしかったし、迷うこともなかった」
かつては下の名前で「ミョンヒ」と呼んでいた仲間ではあるが、いまの立場は監督と選手。その点は梁勇基もわきまえている。ただ、金明輝監督のために尽くす思いは人一倍強い。
「鳥栖のためにも、監督のためにも、頑張らなあかん」
ルヴァンカップ初戦では途中出場で新天地でのデビューを飾った。J1リーグ開幕の川崎フロンターレ戦では最後までベンチを温めていたが、その表情は明るかった。むしろ、強い意欲をにじませていた。
「いつでもいける準備をしている。ピッチで戦う仲間の姿を見て、このチーム、このメンバーでひとつでも勝ちたいと素直に思った。チームの勝利を最優先に考えて、少しでも力になりたい」