松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
松岡修造とパラ陸上代表・高田千明。
元五輪選手コーチとの出会いとは?
posted2020/02/24 08:00
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph by
Nanae Suzuki
昨年11月、ドバイで行われたパラ陸上の世界選手権で、女子走り幅跳び・視覚障害T11(全盲)クラスに出場した高田千明さんは4位に入賞。日本新記録となる4m69を跳び、いち早く東京パラリンピックの日本代表に内定した。
全盲の彼女を競技面でサポートするのが、コーチであり、声や手拍子で選手の跳ぶ方向や踏切の位置を伝えるコーラーの大森盛一さんだ。大森さんは元短距離走者で、2度のオリンピックを経験。1996年のアトランタオリンピックでは1600mリレーに出場し、メンバーの一員として5着に入った実績を持つ。
ひと回り年の離れた2人はいかにして出会い、タッグを組んだのか。来たるべき「東京」に向けて、どんな目標を共有しているのだろう。
共に初対面という松岡さんが2人に歩み寄ると、高田さんが明るい口調でこう答えた。「今日はなんでも聞いて下さいねー」
そのひと言で場の空気は和み、取材見学に来ていた高田さんの一人息子、小学生の諭樹くんをまじえた賑やかなインタビュー取材がスタートした。
高田「小学生の時は負けなしでした(笑)」
松岡「東京パラリンピックの出場が決まったんですね。おめでとうございます」
高田「ありがとうございます」
松岡「千明さんがパラリンピックを意識したのはいくつ頃のことですか」
高田「最初はそんな大会があることも知らなくて。意識したのは社会人になってから。21歳頃です」
松岡「ずいぶん遅いですね。たしか、千明さんは先天性の病で目が見えなくなったと。もっと前から大会の存在を知っているものだと思ってました。そもそもどうして陸上をやろうと思ったのでしょう」
高田「走ることが小さい頃から大好きで、目がよく見えない私が唯一、他の子たちと一緒にできることが駆けっこだったんです。サッカーやバレーボールになるとどうしてもお客さん扱いされてしまうというか、思うように動いてプレーに参加することができなかったんですけど、全力で真っ直ぐ走ることはできた。目が完全に見えなくなって、また何かスポーツがしたいなと思ったときに浮かんだのが、全力で走ることでした」
松岡「走るのは得意だったんですか?」
高田「小学生の時は負けなしでした(笑)。『見えてないのに速いね』と言われるのが嬉しくて」
松岡「小さい頃、病気はどのように進行していったんでしょう」
高田「先天性の病気なので、生まれたときから目が見えづらくて。正面がまったく見えずに、その周りがチラチラ見えたり見えなかったりという感じでした。ただまったく視力がないわけではなかったので、自分は普通に見えていると思っていたんです。いつもどこかに体をぶつけている、落ち着きのない子ではありましたけど(笑)」