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全米を、世界を覆う分厚い悲しみ。
英雄コービーへの追悼は続く。
text by
杉浦大介Daisuke Sugiura
photograph byGetty Images
posted2020/01/29 12:00
世界中に衝撃が走ったスーパースターの突然の訃報。“ブラックマンバ”のプレーはこれからも語り継がれていくだろう。
華々しいキャリア 、アンチも多かった。
コービーのキャリアをすべて振り返り、その死がこれほどまでに多くの国民の心を揺り動かしたことに驚いているスポーツファンもいるかもしれない。
名門レイカーズ一筋で20年のキャリアを過ごし、優勝5回、MVP1回、得点王2回、オールスター選出18回といった実績は申し分ない。
ただ、当初は生意気な性格も喧伝され、ジョーダンの時代のブルズの指揮もとった名将フィル・ジャクソンHCには「コーチできない選手」と評されたこともあった。
のちに示談が成立するものの、2003年には婦女暴行で逮捕、起訴という日本の常識で考えればスターダムへの復帰は不可能となりそうなスキャンダルを起こしたこともある。常にクリーンな印象だったわけではなく、全盛期には史上最高級にアンチの多い選手でもあったはずだ。
しかし、毀誉褒貶の激しさは最後まで変わらずとも、年齢を重ねるにつれて、徐々に、確実に、コービーは莫大なリスペクトを集める選手になっていった。
コービーに憧れてバスケットを始めた。
背景にあったのは、飽くなき向上心、伝説的なほどの練習熱心さ、真摯なプレーへの姿勢、底知れぬバスケットボールへの愛情。“バスケットボールの求道者”としての存在感ゆえに、コービーは現代のアイコンとなっていく。それと同時にその華やかなプレースタイル、稀有な勝負強さは晩年まで変わらなかったがために、通称“ブラックマンバ(毒蛇)”はこのリーグでもほんの一握りの超スーパースターの位置にまで昇華していったのだった。
「コービーは僕にとってもヒーローで、小さい頃からよく見ていました」
今回の悲劇後、八村塁はそうツイートしたが、実際にコービーに憧れてこのスポーツを始めた若者が世界中に数え切れないだろう。コービーこそが、“ジョーダン以降”のカリスマ。その魅力はバスケットボールの範疇を飛び越え、2016年の引退後もほとんど薄れなかった。だからこそ、その突然の死は“国民的な悲劇”となったのである。