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三好康児、ベルギーでの競争と五輪。
「のんびりしている時間なんてない」
posted2020/01/23 19:00
text by
林遼平Ryohei Hayashi
photograph by
Belga Image/AFLO
ベルギー最大の都市のひとつ、アントウェルペン。そこに本拠地を構えるのが創設140年目を迎えるロイヤル・アントワープだ。
かつて4度の国内リーグ優勝を成し遂げた古豪に、昨年の夏、三好康児はさらなる成長を見据えて足を踏み入れた。
川崎フロンターレの下部組織出身で、中学2年生時にU-18のチームに飛び級昇格したことから“アカデミー史上最高傑作”と呼ばれていたレフティーは、その後フロンターレでプロキャリアをスタート。出場機会を求めて期限付き移籍した北海道コンサドーレ札幌、横浜F・マリノスで大きく飛躍のきっかけをつかんだ。
華麗なボールタッチとスルスル抜けるドリブル、どこからでも得点が取れるシュートセンスは、東京五輪世代となるU-23日本代表でも重要なピースとして期待されている。
コパ・アメリカの活躍に「満足はない」
12月中旬、新天地で奮闘する三好の下へ足を運ぶ機会があった。11月に負った怪我の影響でリハビリ中だったものの、もうすぐ23歳となる青年は急な来訪にも快く対応してくれた。
三好と言えば、昨年行われたコパ・アメリカの活躍が記憶に新しい。第2戦のウルグアイ戦に先発出場すると、南米の強豪相手に2つのゴールを記録。「自分の名前を覚えてもらえた試合の1つ」と言うように、ゴールで自らの存在を世界にアピールした。
そして、大会後にアントワープへ期限付き移籍を決断。「マリノスに入って自分のプレーの幅が広がった」と言うように、そのままJ1優勝を果たしたマリノスでプレーを続ける選択もあったが、「海外で活躍するというのはずっと目標にしていた。だからこそ、海外に来ることに迷いはなかった」とプレーする舞台をベルギーに移すことを決めたのである。
ただ、本人は海外移籍が決まったからと言って、浮かれることは一切なかった。むしろより自分に目を向けるようになった。コパ・アメリカでの活躍は、たった一度、結果を残しただけに過ぎない。
「やっぱり継続しないと意味がないと思いました。1試合だけ活躍する選手はそれなりにいると思うし、自分としてはどれだけそれを継続できるかだと思っている。だからあの時、満足することはなかった」