マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
村上宗隆を一目で「この子はプロ」。
高校時代の監督が語る練習法と号泣。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byKyodo News
posted2020/01/13 11:40
ヤクルトからの1位指名を喜ぶ高校3年時の村上宗隆。彼が2年後に36本塁打を打つと想像していた人がどれだけいるだろうか。
3年生の春にはキャッチャーだった。
村上宗隆は3年生の春には、「捕手」としてマスクをかぶっていた。
雑誌『Number』の取材で村上宗隆に会ったのは、その頃だった。
捕手としての所作が意外と(失礼!)堂に入っていて、間違いなく野球上手。
キャッチャーも上手にこなしてるね、と振った時の反応がかわいかった。
「いや、キャッチャー、怖いです! ショートバウンド、怖いし痛いし。将来的には、たぶんムリっすね」
あっさり“告白”してくれた。
「アハハ、そんなこと言うとったですか……そりゃあ痛かったでしょうね。あの時、村上も20キロぐらい体大きくなってて、プロテクターが小さくて外に出てる部分多くて、ボコボコ当たっとったし、レガースもピチピチでゴムが痛かったろうし」
「村上の打席は、半分ぐらいが四球」
同時に、“もう1つの怖さ”も感じていたのだろう、と坂井監督は振り返る。
「今日はできたけど、明日はわからない。そんな危機感みたいなものをいつも持ってたのが、あの頃の村上でしたからね。そういう怖さを感じていたから、あれだけ練習できたともいえるんです。
反復練習をやり過ぎるぐらい繰り返して、自分の体に刷り込んだ技術だったから、プロ2年目でも一軍の全試合を全うできたんじゃないですかね。振り込んで、食い込んで、トレーニングで体を強くして……遠い将来を見据えながら、いまの努力を続けられる。なかなかできることじゃない。それが、村上のすごさなんじゃないかなぁ」
高校通算52本塁打。
間違いなく一級品の数字だが、その“内容”も超一流だったという。
「村上の打席は、半分ぐらいが四球だったんですよ。警戒されて怖がられて、公式戦はほとんど勝負してもらえない。練習試合でもチャンスに村上だと、ほとんど四球でした。
バッティングに自信のあるヤツって、そういう時にボールとわかっていても打ちにいったりするじゃないですか。村上にはそれがなかった。自分のために打ちたい、打ちたいじゃない。ちゃんと四球もらって、チームの勝ちのためにチャンスを広げる。ホームランやアベレージより、打点のほうを大事にしてるようなヤツでしたから、今シーズン(2019年)の結果にも、決して満足してなかったですね」