ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
皇帝ヒョードルと日本の深く長い縁。
リングスの補欠扱い、ミルコの一言。
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byGetty Images
posted2019/12/26 11:15
2005年8月28日、超満員となった会場で行われたヒョードルvs.ミルコ戦。見事、判定勝ちを収めた。
ミルコ戦は超満員札止め。
そしてヒョードルvs.ミルコの頂上対決は、紆余曲折を経て、'05年8月28日、さいたまスーパーアリーナで実現する。この試合に向けて、K-1時代のミルコの天敵であった、アーネスト・ホーストと特訓を積んだヒョードルは、ストライカーであるミルコを打撃でも圧倒。フルマークの判定勝ちで、あらためて実力世界一を証明した。
この一戦は、聖地さいたまスーパーアリーナに4万7629人(超満員札止め)を動員。PRIDE人気はこの時、頂点を極めたのだ。
その2年後、PRIDEはUFCを運営するズッファ社に興行権を譲渡してイベントが消滅してしまうが、その後も要所で日本の格闘技界を支えてくれたのはヒョードルだった。
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2007年の大晦日には、元PRIDEスタッフたちが再集結して開催した『やれんのか!』に参戦し、K-1の大巨人チェ・ホンマンを腕ひしぎ十字固めで一蹴。2011年の大晦日は、K-1運営会社FEGが経営難に陥って大晦日恒例の『Dynamite!!』が開催できなくなり、DREAMとアントニオ猪木IGFが急遽『元気ですか!! 大晦日!! 2011』を開催したが、そのときもヒョードルは、元柔道金メダリストの石井慧と対戦しKO勝ちを収めた。
日本格闘技を支えたくれたヒョードル。
RIZINがスタートした2015年の大晦日もヒョードルは3年半ぶりに復帰して、シング・心・ジャディブにTKO勝ち。いずれの大晦日大会も超大物であるヒョードルがいたからこそ、メジャーイベントのイメージを保つことができたのだ。
今も日本の格闘技界が、大晦日にさいたまスーパーアリーナでイベントが続けられるのは、要所でのヒョードルの協力なくしてありえなかったのである。
そして今年、RIZINが協力するベラトールの日本初進出という大事な大会で、ヒョードルが帰ってきてくれた。大晦日には、朝倉兄弟や那須川天心ら新世代のスターが大一番を行う。
12.29『ベラトール』と12.31『RIZIN.20』では、総合格闘技の歴史と現在、そして未来を見ることができるのだ。
エメリヤーエンコ・ヒョードルvs.クイントン・“ランペイジ”・ジャクソン。日本の格闘技界を支えてくれた感謝と敬意をもって見届けたいと思う。