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甲子園優勝投手・吉永健太朗が引退。
1年前、彼は期待感を抱いていた。 

text by

田口元義

田口元義Genki Taguchi

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photograph byYoshikazu Shiraki

posted2019/12/17 11:50

甲子園優勝投手・吉永健太朗が引退。1年前、彼は期待感を抱いていた。<Number Web> photograph by Yoshikazu Shiraki

2018年夏の取材時に撮影をした写真。カメラマンの白木さんは「笑顔の良い方でした」と振り返る。

「もっとやるしかない」という不安。

 技術、取り組みなど全てが噛み合っていた、高校3年夏の甲子園。そのなかで手元に残っていた3回戦の智辯和歌山戦と「奪三振集」の映像を繰り返し観ては、「高校の時のように投げたい」と、当時の自分を呼び覚ますことに努めていたという。

 それは結果的に逆効果だったと、社会人となった吉永は認めていた。

「大学に入ってから、その想いがちょっと強くて。そこがちょっと間違っていたかな、と。そう思うなら高校でやっていたことを大学でも続ければよかったのに、『まだ物足りない』ってフォームをいじったり、焦りなんかもあったりして、新しい要素を取り入れてひじと肩を怪我しちゃったり」

 甲子園で優勝する。あるいはプロで華々しく活躍するような選手は、精神的にタフだと思われがちだが、そうとは言い切れない。意外かもしれないが「メンタル弱いですよ」と自認する人間も、実際のところ少なくない。

 吉永もそのひとりだ。

 もっとやらないと――そう強く念じ、行動に移すのは不安だからなのだ。

「あまり自信をもってやれている感覚はなかったので。『もっとやるしかない』っていう不安がずっとありました」

 これが、吉永の偽らざる本音だった。

大学時代は「いい経験をした」。

 大学時代を「一概に辛かったとは言えない。いい経験をしたと思います」と弱さを認めつつ、投手として強くなることを求めた。

 いつだって、吉永は前を向いていたのだ。

 JR東日本1年目は、大学時代に崩れたフォームを修正し、それに耐えうる筋力トレーニングにも精を出した。2年目には野手に挑戦したが、肩を脱臼して手術を余儀なくされたものの、「やっぱり、自分にはピッチャーしかない」と改めて決意したという。

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