松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
ブラインドサッカー加藤健人と菊島宙。
東京2020への思いを修造が訊く!
posted2019/12/16 07:00
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph by
Yuki Suenaga
松岡修造がパラアスリートと真剣に向き合い、その人生を深く掘り下げていく「松岡修造のパラリンピック一直線!」。第8回のゲストはブラインドサッカーの加藤健人さん(カトケン)と菊島宙さん(ソラ)。
「小6で初めて試合に出させてもらったときは、怖くて壁から動けなかった」という菊島さんだが、中学2年生のときのある事をきっかけに、その能力が「覚醒」する。
それは、当時チームのキャプテンだった加藤さんが膝をケガして試合に出られなくなった際、菊島さんに向けて言った「ソラ、頼んだよ」という一言。
加藤さんから試合を託されて自分がやるしかないと“スイッチ”が入った菊島さんは、その試合で見事な活躍をみせ覚醒した。さらに、そこから実力を一気に伸ばし、チームの中心選手へと成長したのだ。
ついに“ソラスペシャル”が誕生!
松岡「カトケンから後を託された、その試合で今のドリブルが誕生したんですか。あの信じられない“ソラスペシャル”が」
菊島「あの時はまだ出してないです。カトケンのドリブルをやってました」
加藤「そんな、僕のドリブルが格下みたいに言わないでよ(笑)。いわゆるブラサカのドリブルね」
松岡「じゃあ、ソラスペシャルはいつできるようになったの?」
菊島「同じ中2だよね(母親の光子さんに同意を求める)。スイッチが入ったちょっと後に、両親に『筑波のチームにいる田村友一さんのドリブルをやって欲しいな』って言われて」
松岡「ご両親が『田村さんのドリブル良いな、やってほしいな』って」
菊島「はい(笑)。でも『見えてないんだよ。あんなの無理だよ』って、その時は言いました。そうしたら父親が『でもお前、普通のサッカーではできてたじゃん』って。その言葉でちょっとやる気にさせられました」
松岡「急にできたわけじゃないんだね」
菊島「それから練習して、徐々にボールを蹴る距離を伸ばしていって、ちょっとずつ感覚が掴めてきました」
松岡「そのとき掴んだコツってどのようなものだったの」
菊島「蹴る力が強すぎるとボールに追いつかないし、ちょっとしか蹴らないとボールにつまずくし、その力加減を覚えていくしかない……」