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引退・明神智和の魂は今もガンバに。
遠藤保仁、山口智、藤春廣輝の秘話。
text by
下薗昌記Masaki Shimozono
photograph byGetty Images
posted2019/12/06 11:50
明神智和(右端)と遠藤保仁。ガンバ大阪の魅力的な攻撃スタイルのど真ん中には常にこの2人がいた。
西野監督が語った愛弟子の重要性。
華麗な攻撃サッカーに当時のホーム万博記念競技場は何度も沸いたが、献身的なカバーリングやインターセプトで場内を盛り上がらせた数少ない男が小柄な守備の人、明神である。
当時、明神はこう胸を張ったものだ。
「試合をしている時に目立たないかもしれないけど、守備の場面とかで観客が沸いてくれると凄く嬉しい思いはある。でも、ガンバが攻撃的に行く中で、自分に対する守備の負担が多いなんて感じてはいなかった。そういう幅広いカバーを自分で守ってやろうと思っていたし、むしろそういうプレーが僕の持ち味だから」
西野監督にとって明神は柏レイソル時代からの愛弟子である。2011年に明神がJ1出場350試合出場を果たした試合後の記者会見で、西野監督はその重要性をこう語っていたのだ。
「自分の理想の中の必ずいなくてはいけない選手。代えの利かない選手だと思う。ヤット(遠藤)のプレーを活かせているのも明神の存在が大きい」
山口智コーチだから語れる秘話。
黒子。汗かき役。職人。いぶし銀。全てがそのプレースタイルに合致するのだが、ピッチ内外における明神の良さを知るのが、遠藤以上に付き合いが長い山口智ヘッドコーチである。
山口ヘッドコーチは1997年のワールドユースを戦ったU-20日本代表で明神とチームメイトだった。明神より1学年下だが、遠藤と同様に、やはり引退発表前に、知らせを受けていたという。
「素直にお疲れ様という言葉が出た。マレーシアかどこかの合宿で、当時ボランチだった僕は明さんと同部屋で初日の練習に遅刻してね。僕が引退する時にその思い出を『あれは焦ったな』とメッセージをくれた。そんな若い頃からの付き合いですよ」と懐かしげに22年前の秘話を明かした山口ヘッドコーチだが、2人の間には遠藤とは異なるタイプの信頼関係が存在する。
2010年にキャプテンに就任した明神だったが、前年まで4年間、ゲームキャプテンを務めたのが山口ヘッドコーチだった。
「お前が副キャプテンをやらないと、俺はキャプテンをしない」
「明さんの後ろなら支えますよ」