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日本代表・加藤健人が修造に語った、
ブラインドサッカーとの運命の出会い。 

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松岡修造

松岡修造Shuzo Matsuoka

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photograph byYuki Suenaga

posted2019/12/02 18:00

日本代表・加藤健人が修造に語った、ブラインドサッカーとの運命の出会い。<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

ボールのトラップもドリブルもシュートも……目隠しをした松岡修造さんにはあまりにも難しかった!

「日本代表になって自分に自信が持てた、と」

加藤「僕の場合はやっぱり、日本代表に選ばれたときですね。そこで1つ殻を破れたというか、自分から人に伝えられるようになった。最初の頃は友だちや身近な人でさえも自分の障がいのことが言えなくて、それを隠していたんです。

 僕自身が元々、障がい者に対して偏見があったというか、特別学級に入っている子たちを自分とは何か違うという目で見ていた。当時はまだ障がいや福祉に対する知識がなかったから、ヘンな目で見ていたんです。今度は自分がそういう目で見られるのかと思うと、避けられたりするのが怖くて。

 だからブラインドサッカーをやっていることも黙っていたんですね。それがようやく自分から言えるようになった……」

松岡「日本代表になって、自分に自信が持てた。そして、他人にも心を開くことができたんですね」

加藤「なかなか人に道案内を頼むことさえできなかったんですけど、そういうのが言えるようになって少しラクになりました。受け身では前に進めないことがわかったんだと思います」

松岡「宙さんは今の話を聞いてどう思いましたか。こうやって2人でインタビューを受けるのは初めてだと思うんですけど、健人さんと宙さんとは生きてきた環境が違うから、異なる体験や考えを聞くことで何か気づきがあるんじゃないかなって」

菊島「フフフ。なんて言ったら良いんだろう」

松岡「大丈夫ですよ。思ったことを言ってくれたら。カトケンは最初、障がいに対してマイナスなイメージを持っていた。それが徐々に変わっていったんだという話をしてくれました。多分、今まで聞かれたことがない質問だと思うけど、これも修造チャレンジの1つです。今まで考えたこともないことを言語化するのは良いトレーニングになると思うので」

菊島「うーん、私はただ見えていない感じ。生まれつきただ見えにくいとしか思っていなかったので……。なかなか障がいを自覚する機会がなかったです」

松岡「親に言われたり、病院で先生に告げられたり。気づく切っ掛けがなかったと」

菊島「はい。ただ単に人と見え方が違う。それしか思っていなかったので」

松岡「そもそも宙さんは障がい者なんですか?」

 松岡さんからの意外な問いかけに、宙さんが首をかしげる。宙さんは今、17歳。希有な才能の持ち主だが、素顔は純朴な女子高生だ。こうした取材にもまだ慣れていないという。答えあぐねている宙さんに代わって、母親の光子さんが助け船を出した。

(構成:小堀隆司)

加藤健人かとう・けんと

1985年10月24日、福島県生まれ。ブラインドサッカー男子日本代表。埼玉T.Wings所属。小学校3年生のときにサッカーを始める。高校2年生のときに受けた視力検査で左目の視力低下が判明。その後レーベル病と診断される。高校卒業後、19歳のときに父親の誘いでブラインドサッカーを始める。競技を始めて1年目に関東リーグで新人賞を獲得、4年目の2007年、アジア選手権で初の日本代表入りを果たす。以後連続して代表に選出されている。

菊島宙きくしま・そら

2002年5月23日、東京都生まれ。ブラインドサッカー女子日本代表。埼玉T.Wings所属。先天性神経障害と先天性黄斑低形成の合併症により両眼が弱視(眼鏡やコンタクトレンズで視力矯正ができない)。小学校2年生からサッカーを始め、4年生のときにブラインドサッカーと出会い、6年生で埼玉T.Wingsに所属。2017年、'18年、'19年のブラインドサッカー日本選手権で3大会連続の得点王に。'17年に発足したブラインドサッカー女子日本代表チームのメンバーに選出され、数々の大会で最多得点をマークしている。

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