松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
日本代表・加藤健人が修造に語った、
ブラインドサッカーとの運命の出会い。
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph byYuki Suenaga
posted2019/12/02 18:00
ボールのトラップもドリブルもシュートも……目隠しをした松岡修造さんにはあまりにも難しかった!
松岡「僕もガイドとしてパラリンピックに出られる」
健人さんが松岡さんの声を頼りにドリブルを開始する。「ゴール、ゴール」。たしかに松岡さんの声は良く通る。「カトケン、シュート!」。その声に反応して、健人さんが右足を振り抜く。その瞬間、「ああ」というくぐもった声が漏れた。なんと、ボールは松岡さんの股間を直撃。程なくして、周囲は爆笑に包まれた。
加藤「ハプニングですね。ハハハハッ」
松岡「でも、真っ正面に来たから、ナイスシュートです(苦笑)。ちゃんとゴール裏に立って声をかけなかった僕のミスです」
加藤「ほんと良い声をしてました。僕たちはその声がないとシュートが打てないので、すごく助かります」
松岡「たとえばパラリンピックの大会でも、ガイドは目が見えていても良いんですか」
加藤「そうですね。弱視の方でも晴眼者でも」
松岡「ということは、僕もガイドとしてならパラリンピックに出られる可能性があると」
加藤「その通りです。日本代表チームではコーチがガイド役を務めているんですけど、可能性はゼロではない。ゴールキーパーも晴眼者もしくは弱視の方なので、誰にでもチャンスはありますね」
3人はいったんグラウンドを離れ、日よけのあるベンチに移動。お茶で喉を潤した後、改めて対談がスタートした。
松岡「今、色々と体験させていただいて、競技の中身とルールについてはよくわかりました。ここからは個人的な体験についても聞かせて下さい。まず健人さんは、どのようにして視力が落ちていったんですか」
加藤「僕は17、8歳のころ。遺伝性の病気で徐々に視力を失っていきました。切っ掛けは部活中のケガで、たまたま人とぶつかって目が腫れたんですけど、病院に行ってみると、腫れた方とは逆の目の視力が落ちていることがわかった。その時ぶつかったのが原因ではなくて、すでに病気の影響で目が悪くなっていたみたいです。利き目じゃなかったから気づかずに暮らしていたんですけど、そこから徐々に両方の目が悪くなっていった感じです」
松岡「それはどういう診断だったんですか」
加藤「レーベル病という遺伝性の病気です。なってみて初めて、母方の親族に同じような病気の人がいるとわかりました」
松岡「それをどのように受け入れていったんでしょうか。サッカー部に入っていたときは、夢があったんですね?」