松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
日本代表・加藤健人が修造に語った、
ブラインドサッカーとの運命の出会い。
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph byYuki Suenaga
posted2019/12/02 18:00
ボールのトラップもドリブルもシュートも……目隠しをした松岡修造さんにはあまりにも難しかった!
ブラインドサッカーとの出会いについて。
加藤「ちょうど僕が小学校低学年の時にJリーグが始まって、それに憧れてサッカーを始めました。だから、小学校から高校まではずっとサッカー選手になりたかった。でも、徐々に視力が落ちていく中で人生が終わったというか、これから先何をすれば良いのかわからなくなって……。
悩んだり、苦しんだ時期が最初はやっぱりありましたね。正直、今は日本代表として世界で戦うという目標があって、それを応援してくれる家族や友人、仲間がいるんですけど、障がいを受け入れられたかというとまだ難しい部分がある……。
ただ、障がいがあったからこそ色んな気づきがあり、出会いもあったから、感謝している部分ももちろんあります」
松岡「色んな葛藤がある中で、ブラインドサッカーとはどのようにして出会うんですか」
加藤「高校はなんとか卒業できたんですけど、そこからちょっと引きこもりのような状態になって。友だちがたまに遊びに来てくれても、外に出ること自体が怖かったりもしました。見かねた両親が何かできることはないかと探してくれて、そこでブラサカと出会った。僕は福島市の出身なんですけど、福島にはチームがなかったので、茨城の筑波にまで父親と2人で見学に行きました」
松岡「福島から筑波まで……。そこでピンときたわけですか」
加藤「僕も最初はよく知らなくて、練習もアイマスクを着けてしているし、ちょっとびっくりしました。自分がやってきたサッカーとはちょっと違うなと思いつつも、みんなが楽しそうにサッカーをしている様子を見て、良いなって。年齢も一緒くらいだし、人数も少なかったので、向こうは誘うのが当たり前だったのかもしれないですけど、そこでチームに誘ってもらえたのがすごく嬉しかったです。
自分なんて世の中に必要ないんじゃないかって思い詰めていた時期があったので、それがほんと嬉しくて。で、僕もその学校でやると決めて、改めて受験をし直しました」
ブラサカとの出会いが運命を変えた。
松岡「学校は通うには遠いですしね。一人暮らしですか?」
加藤「宿舎があったので、そこに。だから一人暮らしもそうですし、色んなことが始まる切っ掛けになりましたね」
松岡「宙さんは今の話を聞いてどう思いましたか。ブラサカとの出会いが先輩の運命を変えていったことについて」
菊島「自分は生まれつきあまり見えていないけど、カトケンは病気で見えなくなったから大変だったんだなって。なんかうまく言葉では言えないんですけど」
松岡「この企画でみなさんに話を聞くと、必ず大きな壁があって、時間をかけてそれを登ってきている。2人にも『よし!』と前を向く転機があったと思う。それはどんな時でしたか」