松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
修造、驚嘆! パラ水泳・成田真由美が
アトランタ大会を目指すまでの道のり。
posted2019/11/04 09:00
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph by
Yuki Suenaga
松岡修造がパラアスリートと真剣に向き合い、その人生を深く掘り下げていく「松岡修造のパラリンピック一直線!」。第7回のゲストはパラ水泳の成田真由美さん。
中学生のときに突然発症した難病「横断性脊髄炎」。ウィルスによって脊髄が炎症を起こし、神経が麻痺し、長い入院生活を送ることになった。しかしその後、2年遅れで高校に進学し車いすで通学。病と闘いながら自動車免許を取り、車いすでできるスポーツをするようになった。そして23歳の秋、水泳と運命の出会いを果たす――。
松岡「水泳を始める切っ掛けは何だったんですか」
成田「『水泳の試合のリレーメンバーが足りないから入って』と誘われたから」
松岡「でも、泳ぎは嫌いだったんですよね」
成田「なので、最初は断りました。でも、試合が仙台であると聞いて、美味しいものが食べられると思ったら、行きますと言ってました(笑)」
松岡「誘われた時もカナヅチだったのに?」
成田「はい。それが、練習をするために覚悟を決めて水に入ってみたら新鮮だったんです! 陸にいるときってすごく足が重いんですけど、水の中に入ったら自分の体が軽く感じられて、その感覚になんか目覚めちゃったんですね」
1カ月後には大会に出て金メダル。
松岡「水の中で自由を感じたんですね。単純に楽しかった?」
成田「でも、最初はゴーグルをしていても目をつむっていたし、そうは言っても怖かったですよ」
松岡「よく考えると、水の中でも足は動かないわけだから」
成田「そう。25mプールでも途中で立って休めないから前に行くしかないの。だからとにかく向こうの壁まで泳ぐしかなかったんですよね。それで1カ月後には大会に出て、大会新記録を出して金メダルを獲って……。その帰りに東北道で追突されちゃうんです。それが1回目の追突事故」
居眠り運転が原因の追突事故にあい、成田さんは頸椎を損傷。体温調節がままならなくなり、左手の中指、薬指、小指の3本がグーのまま開かなくなってしまった。
成田「結局、救急車で運ばれてサービスエリアにも寄れず、笹かまぼこも萩の月も何も食べられなかった。こんなに悔しいことってあります?(笑)」
松岡「あの、大事故ですよね。それをこんな風に明るく話されると、どうとらえていいのかわからないです(苦笑)。そもそも水泳だって苦しかったんですよね。25mプールの途中で立てないんだから。なんで優勝できたんだろう」