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山形でともに喜び、泣いた12年。
山田拓巳が願う「J1と新スタジアム」。 

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安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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photograph byTakahito Ando

posted2019/10/12 09:00

山形でともに喜び、泣いた12年。山田拓巳が願う「J1と新スタジアム」。<Number Web> photograph by Takahito Ando

昨季から山形のキャプテンを務める山田拓巳。在籍12年目を迎える今季、悲願のJ1昇格を目指す。

チームに貢献できず、再びJ2へ。

 酸いも甘いも経験してきた山田だが、大きな心残りを持っていた。

 1回目の昇格(2008年シーズン)はルーキーイヤーだったこともあり、試合出場はゼロ。翌'09年にJ1でプロデビューを果たすが、1度目の降格を味わう'11年までの3年間、リーグ戦出場数は毎年片手で収まる程度に終わっていた。

 そこから'13年、'14年と右サイドで定位置を勝ち取り、'14年シーズンのJ1昇格に貢献。しかし、2度目J1昇格となった'15年は、わずかリーグ戦7試合の出場に留まり、チームも1年でのJ2降格の憂き目にあった。

「1回目の昇格、降格も自分はそんなに試合に絡めていなかったので、どちらもピンとこなかった。2回目の昇格を果たしたとき('14年シーズン)は石崎(信弘)監督に変わった1年目で、前年の奥野(僚右)監督と同様に僕を辛抱強く使ってくれた。チームとしてもシーズンの終盤まで、常に上位にいたわけではなかったので、(昇格が)現実的ではなかった。そのおかげもあって逆に余計なプレッシャーがなく、尻上がりに勝ち上がっていって、昇格を掴めた。天皇杯も含めてチームとして勢いに乗っていたので、『もうこのまま突っ走ろう』という感覚でやれたのが功を奏した気がします。

 2回目の降格となった'15年は、怪我の影響もあって、試合に絡めないうちにJ2に落ちてしまった。不完全燃焼というか、もやもやが残ったというか……」

J1へ、そして新スタジアム完成まで。

 '16年のJ2降格以降、チームはJ2でのシーズンを過ごしている。山田自身も左右のサイドバック、ウィングバックとしてコンスタントに試合出場を重ねているが、同時に自分の年齢も、チーム内における責任もどんどん増すばかりだ。

「僕にはまだ成し遂げていない目標が3つあるんです。まずはクラブとして3度目のJ1昇格を成し遂げること。2つ目はチームとしても個人としてもJ1に定着する。J1でレギュラーとしてプレーすることにあります。

 3つ目は将来、山形に新しいスタジアムができるまで、僕がモンテディオの選手としてプレーし続けることです。スタジアムに関してはまだ具体的な話にはなっていませんが、モンテディオというクラブとしても、地域としてもその機運が高まっていると肌で感じているんです」

 サッカー選手の寿命には限りがあり、いつ終わりが訪れるか分からない。年齢を重ねれば、当然その終わりも現実味を帯びたものとなってくる。裏を返せば、30歳を迎える年齢で、ここまで本気で達成を願える目標が3つもあることは、選手としては幸せなことかもしれない。

【次ページ】 周囲の期待に「結果」で。

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モンテディオ山形
山田拓巳

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