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釜石で起きたラグビーW杯の奇跡。
やっと味わえた「特別な空間」。
posted2019/09/27 20:00
text by
金子達仁Tatsuhito Kaneko
photograph by
Getty Images
最寄りの空港からの距離はおよそ300キロ。運良く渋滞を避けられたとしても、着くまでにたっぷり4時間はかかる。交通の便は、よくない。
それでも、その空港を利用するたび、わたしは衝動に駆られる。往復でほぼ1日が消えてしまうが、でも、行ってみようかな、と。
いまのところ、まだ実現はしていない。けれどきっと、いつか、必ず、行くつもりでもいる。
わたしたちにとって、そこは特別な場所だから──ジョホールバルは。
1997年11月16日は、日本サッカーにとっての開かずの扉が開いた日として記憶されている。お世辞にも立派とはいえないマラッカ海峡沿いの古びたスタジアムは、わたしにとって、そして多くのサッカーファンにとっては聖地にも等しい。
2019年9月25日、岩手県釜石市で起きたことは、日本人にとってのジョホールバルと同じぐらいか、ひょっとするとそれ以上に大きな意味を持つ出来事だった。
フィジー人もウルグアイ人も知っていた。
22年前の日本人は、ジョホールバルという街の歴史に何の興味も持っていなかった。あの街が特別な意味を持つようになったのは、ただただ、日本が勝ったから、だった。
けれども、よく晴れた秋空の中、釜石鵜住居復興スタジアムを訪れた人々は、おそらくは全員がこの街になにがあったかを知っていた。日本人は言うまでもなく、わたしが聞いた限りではフィジー人も、ウルグアイ人も、全員が3.11という数字の意味を知っていた。
いわば、試合前から特別な意味を持っていたスタジアムで、特別なことが起こったのだ。
スタジアム周辺だけでなく、地域全体が特別な空気を醸しだしていた街で。