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600試合登板、楽天・青山を救った
星野仙一の「稼ぎたくないんかい!」。
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byKyodo News
posted2019/09/26 08:00
8月14日のソフトバンク戦で1回を無失点に抑え、通算600試合登板に華を添えた楽天・青山
星野に凄まれ、覚悟を決める。
若手時代の青山は、一部で「ブルペンエース」と呼ばれていた。
ブルペンでは一級品のボールを投じるが、ひとたびマウンドに上がると、それが幻だったかのようなパフォーマンスへと低下してしまう――そんな登板が少なくなかったからだ。
あはは。今の青山が少し苦笑を浮かべる。「そんな言われ方もあったかもしれないですね」と、当時の自分を回想する。
「メンタルの弱さもそうですし、技術も含めて一軍で戦えるものがなかったってことですよね。実際、星野さんが監督になられるまでは『一軍で投げられればいいや』くらいの気持ちでしたから。それくらい意識が低かったってことでしょうね」
そんな青山が、'11年に監督となった星野に守護神への転向を命じられた。
抑えか……と、いまいち状況を把握しきれていないなか、星野に凄まれる。
「もっと稼ぎたくないんかい!」
シンプルな言葉が、青山の胸に刺さる。「1年でも長く現役で」と、ぼんやりと将来を思い描いていた青山のビジョンが明確になる。
「純粋に『稼ぎたい!』って思えましたよね。そこから抑えとか勝ちパターンで投げさせてもらうようになって、ますます『先発の勝ち星やバッターの決勝打を消せない』と、自分の役割にこだわるようになりました」
年俸も1億円を超え、順調だったが。
今では青山の代名詞であるスライダーを、より切れ味鋭く磨くようになったのもちょうどこの時期である。'12年に本格的に守護神となり22セーブを挙げ、自己最多の61試合に投げた。翌年も2年連続で60試合登板、11セーブと楽天救援陣の屋台骨を支え、日本一の足場を固めた。
年俸も一流プレーヤーの証とも呼ばれる1億円に達し(推定)、試合では勝利の方程式を担えている。キャリアと実績。双方の循環がよければ「このままやっていける」と錯覚に陥るケースも珍しくはない。
しかし、この年に30歳を迎えた青山はそうならなかった。