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北京からリオに繋がったバトン。
朝原宣治と山縣亮太が語る4×100。
text by
宝田将志Shoji Takarada
photograph byNaoki Nakanishi/JMPA
posted2019/08/16 11:00
北京五輪陸上男子4×100mリレーでアンカーとして駆け抜けた朝原宣治(左)。彼らの走りと、蓄積したデータがリオ五輪の銀メダルにつながった。
山縣「大前提は個人の走力アップ」
「若い選手がジャパンリレーチームという大きな船に乗ったら活躍できるんじゃないかと思える流れができたことはすごく良かった」と朝原は評価したうえで、こう警鐘を鳴らす。
「(近年は)ピンで戦おうという意識がちょっと足らなかった気がしますね」
山縣も「大前提は個人の走力アップ」と異口同音に語る。
陸上とは元来、個人競技だ。100mの決勝進出ラインに、朝原は'96年アトランタ五輪で0秒05、山縣はリオ五輪で0秒04まで迫った当事者だけに、その言葉は重い。活況を呈する日本短距離陣。何人が東京五輪の100mや200mの決勝に進めるだろうか。そして、ファイナリストたちの力をリレーで結集できるなら、それはかつてない魅力的なレースになるはずである。
「リレーって体育祭とか運動会でも絶対にあって盛り上がったし、『選ばれし者が走る』というところが格好いいですよね」
山縣はハイレベルな切磋琢磨の中、4人のメンバーに食い込む難しさと、そのやりがいを強く意識している。
3年前のリオ五輪。アンカーのケンブリッジが左手に握り、ウサイン・ボルトと接触した緑色のバトンも、北京五輪のバトンと同じように日本陸連に保管されている。
北京で歴史の扉を開けた者たちがいた。
技術を磨いた者たちは、リオでさらに伝統を前へと進めた。
東京のバトンも、ここに加わるといい。金色のメダルと新たな物語と共に。
(Number977号『[日本リレー革命史]朝原宣治×山縣亮太「世界の頂点へ繋ぐバトン」』より)