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北京からリオに繋がったバトン。
朝原宣治と山縣亮太が語る4×100。 

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宝田将志

宝田将志Shoji Takarada

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photograph byNaoki Nakanishi/JMPA

posted2019/08/16 11:00

北京からリオに繋がったバトン。朝原宣治と山縣亮太が語る4×100。<Number Web> photograph by Naoki Nakanishi/JMPA

北京五輪陸上男子4×100mリレーでアンカーとして駆け抜けた朝原宣治(左)。彼らの走りと、蓄積したデータがリオ五輪の銀メダルにつながった。

高野が導入した「アンダーハンドパス」

 このプレッシャーは「世界の壁」に跳ね返され続けてきた歴史の重さでもあった。

 日本は100mにおいて、1932年ロサンゼルス五輪で吉岡隆徳が6位入賞を果たしたが、以後、誰一人として決勝に勝ち上がれていなかった。4×100mリレーに関しては、'68年メキシコ五輪を最後に日本の出場は途絶え、平成に元号が変わる前年の'88年ソウル五輪から再び参戦するようになった。「個人でなく、4人で戦うリレーなら通用するかもしれない。日本のレベルを上げるには短距離に夢がないといけない」との考えが、当時の日本陸連上層部にあったとされる。

 ターニングポイントは、400m日本記録保持者の高野進が現役を退き、'97年から短距離チームを指導する立場に就いたことだった。高野は2001年シーズンを前に、新たなバトンパスをチームに導入した。後に日本の伝統となる「アンダーハンドパス」である。

 リレーのバトンパスには「オーバーハンド」と「アンダーハンド」の2つの方法がある。オーバーは次走者が後方に腕を伸ばし、前走者が上からバトンを渡す。2人の間の距離を稼ぎやすい。これを「利得距離」と呼ぶ。

近づいて安全に、かつ高速で。

 欠点は、受け手が腕を高く上げるため加速しにくい点だ。一方、アンダーは次走者が腕を下に向け、前走者がそこに下からバトンを押し込んでパスする。走る姿勢に近く加速しやすいが、2人の位置が近くなるため利得距離は稼ぎにくい。

「利得距離よりも、近づいて安全に、かつ高速で渡す。日本人らしい美しいバトンワーク。忍者が知らない間に、さっと渡していく、そんな形をイメージしていた」と高野。目論見どおり、アンダー導入後、日本は安定したバトンワークを武器に世界大会の決勝の常連国となっていく。

 '04年アテネ五輪4位。'07年大阪世界選手権では38秒03の日本記録(当時)をマーク。それでも順位は5位だった。表彰台に手が届きそうで届かない。そんな状況で迎えたのが北京五輪だった。

【次ページ】 記事を見て実感したメダル獲得。

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