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浦和の“組長”大槻監督の気配り力。
仙台時代の教え子にも響いた「愛」。
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph byGetty Images
posted2019/07/03 07:00
5月末にオリヴェイラ氏の後を継ぎ、浦和レッズを率いる大槻毅監督。就任時の言葉からは覚悟が窺い知れた。
「言葉に愛があるんです」(群馬・渡辺)
細かな気配りは昔からだった。ベガルタ仙台時代(2011年)に大槻コーチと居残りでひたすらヘディング練習をしていた渡辺広大(現ザスパクサツ群馬)は、8年前のこともよく覚えている。
「兄貴分みたいな感じでした。話を聞いてもらったり、励ましてもらったりね。“同世代以下で一番のセンターバックになれ”って。“コウダイ、きょうもやるぞ”という感じで、いつも練習に付き合ってくれました。僕だけではなく、試合に出ていない選手たちの気持ちを察してくれるんですよ。ほんと、親身になってくれました。言うときはズバッと言うけど、言葉に愛があるんです。きっと浦和でもそうなんじゃないですか」
教え子のために、頭を下げる。
選手との付き合いは、上辺だけではない。今年6月、立正大が練習試合でクラブハウスに訪れたときのこと。大槻監督はヴァンフォーレ甲府のスカウトにペコリと頭を下げて、固い握手をかわしていた。浦和ユース時代の教え子である中塩大貴(立正大)の甲府加入が内定し、心から喜んでいる感じだったという。中塩も恩師の指導を忘れたことはなかった。
「“当たり前のことを当たり前のようにやれ、凡事徹底”と言われ続けたことは、大学時代もずっと胸に留めていました。“支えてくれる人、応援してくれる人への感謝の気持ちを忘れるな”という言葉もそうです。サポートしてもらった分はプレーで示せ、ピッチの上で返せって。プロになる上で本当に大事なことでした」
中塩は高校2年まではレギュラーだったものの、3年生になると、大槻監督に起用されなくなったという。初めて挫折を味わった。いまとなっては「あれも必要な経験だった」と振り返る。
「大槻さんを見返したい、大槻さんに認めてもらいたいと思って、大学で努力してきたところもあったので。内定のことは電話でも伝えましたが、きょう直接会って報告できました」
恩師から返ってきた言葉は「頑張ってね」と短いものだったが、心にしみた。長い時を経て、関係性が変わっても、慕われ、いまでも感謝される。親身な指導があればこそ。
レッズの「親分」は、人情味にあふれている。