プロレス写真記者の眼BACK NUMBER
長州力、45年のプロレス人生に終止符。
家族のもとに笑顔で帰還できた67歳。
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2019/06/27 14:50
英子夫人との間に3人の娘がいる父親でもある長州力。昔はハードスケジュールで家族に苦労をかけたそうだが、現在は円満家族に。
長州が耐え続けてきた体の痛み。
以前、長州から唐突にこんなことを言われた時があった。
「リングサイドで、あんな変な姿勢で写真を撮っていて腰が痛くならないの?」
リングのエプロンにもたれるようにして、いつも中腰でカメラを構えている私の姿を見て、腰に負担がかかるんじゃないか、と長州は思ったようだ。
「いえ、腰はそうでもないんですけれど、ヒジとか指先が痛くなることはありますよ」
そうすると長州は「指?」と聞き返してきたが、「指でも、すごいよね。痛くなるまで長くやっているっていうのは、たいしたもんだよ」。長州は自分の体の痛みと重ね合わせてあんな問いかけをしてきたのかもしれない。その歳にならなければ、その時の体の痛みを知ることはできない。
新日本プロレスの歴史に刻まれた事件。
もともと長州は地味なレスラーだった。
山口県出身の吉田光雄は1973年、新日本プロレスに入門した。デビュー戦は1974年8月の日大講堂でエル・グレコにサソリ固めで勝利した。そして1977年から“長州の力道山”という意味で「長州力」というリングネームを得たが、「あの日」までは本当に地味なレスラーだった。
1982年10月8日の後楽園ホールで運命が変わった。いや、変えた。
あの日の暴発がなかったら、長州がこんなに長くプロレスをやることはなかっただろうし、注目もされなかっただろう。あれは、そう……藤波辰巳に突っかかっていったいわゆる「噛ませ犬事件」は新日本プロレスの数ある事件史の中でも、特筆すべきものとなった。
試合そっちのけで、なんであんなに雄弁になれたのか……長州自身にもわからない。本人曰く、意図したわけでもなかった、という。故意にギャンブルを仕掛けたわけでも、なんでもなかった。ただ、長州は思っていた気持ちと不満を素直に口に出しただけだったのだ。
だが、そのあまりにも自らをさらけ出した自然な姿が、より一層、不自然な試合と真逆のコントラストを生んでいた。