ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
“熊殺し”ウィリー・ウィリアムス、
殺気と緊迫感に満ちた猪木戦の真実。
posted2019/06/13 17:00
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
Moritsuna Kimura/AFLO
1980年2月にアントニオ猪木と格闘技世界一決定戦で対戦した空手家、ウィリー・ウィリアムスが6月7日に亡くなっていたことが、格闘技の海外メディアで報じられた。
ウィリー・ウィリアムスは、昭和のプロレスファンにとっても決して忘れることのできない“外敵”だろう。
猪木vs.ウィリーは、一連の異種格闘技戦の中でも、もっとも殺気に満ちた一戦として知られている。会場となった蔵前国技館は、プロレス側と空手側のセコンドや、さらに観客までもが対立。一触即発の物々しい雰囲気の中、異様な緊迫感をともなって行われた。
なぜ、そこまで殺伐とした試合になったのか。それを理解するには、まず当時の状況を知る必要がある。
猪木の新日本と、大山の極真。
'70年代後半、日本に一大格闘技ブームが巻き起こっていた。そのブームを牽引したのが、“燃える闘魂”アントニオ猪木率いる新日本プロレスと、“ゴッドハンド”大山倍達館長を頂点とする空手の極真会館だ。
当時、猪木は柔道金メダリストのウィリエム・ルスカ戦を皮切りに、ボクシング世界ヘビー級王者のモハメド・アリなど、さまざまなジャンルの格闘家と異種格闘技戦を行い、「プロレスこそ最強」を標榜。一方、極真は梶原一騎原作の漫画『空手バカ一代』で人気に火が付き、ドキュメンタリー映画『地上最強のカラテ』で、その強さの幻想が巨大化した。
そんな、ともに“最強”のイメージをまとう2大勢力がついに雌雄を決する、'70年代後半に起こった格闘技ブームのフィナーレとも言うべき大一番。それが'80年2月27日、蔵前国技館で行われたアントニオ猪木vsウィリー・ウィリアムスの一戦だった。
そしてウィリーといえば、映画『地上最強のカラテPART2』で巨大灰色熊(グリズリー)と闘い、“熊殺し”と恐れられた極真の猛者。いまでこそ、ウィリーと熊が闘う映像は、リアリティの面で胡散臭さを感じてしまうことは否定できないが、当時は凄まじいインパクトがあり、2m近い長身を誇る鍛え抜かれた褐色の肉体は、極真空手家の中でも抜きん出た怪物性を醸し出していた。