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群馬・布啓一郎vs.鳥取・高木理己。
市立船橋「師弟対決」で溢れた思い。
posted2019/06/13 07:00
text by
渡辺功Isao Watanabe
photograph by
Isao Watanabe
「開幕からこれまで。たとえ負けた試合のなかでも、自分たちのできたことがあって、それを積み上げてきた“つもり”だったんですけど。それは“つもり”に過ぎなかったということを、群馬さんに突き付けられました。きょうの試合に関しては、すべてができなかった。そういうゲームでした」
関東地方が梅雨入りしたばかりの今月9日、J3リーグ第11節。滴の細かな雨が降るなか、ガイナーレ鳥取はザスパクサツ群馬とのアウェイゲームに0-5で敗れた。今シーズンから鳥取の指揮を執る高木理己監督は、完敗を認めると同時に、わが師の存在の大きさをあらためて感じていたのかもしれない。
この日の対戦相手である群馬の布啓一郎監督は、およそ25年前、自身が市立船橋高校サッカー部員だった当時の監督であり、指導者への道を進むキッカケをつくった、その人だったからだ。
北嶋秀朗らと選手権制覇を達成。
来月7月で41歳になる高木監督は千葉県出身。Jクラブの監督を務めるのは今回が初めてになる。高3のときに出場した、第75回全国高校選手権の優勝メンバーのひとりだが、この大会で最も注目を集めたのは、1回戦から決勝までの6試合すべてでゴールをあげ得点王になった北嶋秀朗(現・ロアッソ熊本ヘッドコーチ)だった。
そのほか佐藤陽彦、中村直志、吉川京輔といった同級生、あるいは1年後輩の山根伸泉といった、のちにJリーガーとなるチームメイトたちがレギュラーを張るなか、ときおり途中出場して主に中盤の右サイドに入る。それが高木の役割だった。
高校卒業後に進んだ帝京大のサッカー部も、関東大学リーグの下部カテゴリーに相当する東京都リーグに所属しており、日の当たる舞台とは縁遠かった。ところが2000年、市立船橋高サッカー部のコーチと、控え選手の公式戦出場や地域に根差した一貫指導を目的に、前年に発足していたVIVAIO船橋のユースチームのコーチに就任することになる。