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中村俊輔を開花させた師との出会い。
プロ1年目、若気の至りを見守られて。 

text by

二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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photograph byJ.LEAGUE

posted2019/06/05 10:30

中村俊輔を開花させた師との出会い。プロ1年目、若気の至りを見守られて。<Number Web> photograph by J.LEAGUE

ルーキー時代の中村。1997年はリーグ戦27試合、5得点で優秀新人賞を受賞した。

マリノス1年目、アスカルゴルタ監督。

 スペースの都合上、掲載できなかったのが1997年、横浜F・マリノスに入団した1年目、エスパニョールやチリ代表、ボリビア代表などを率いたスペイン人監督ハビエル・アスカルゴルタとの出会いである。中村はそれを、自分の才能を一気に引き伸ばしていくきっかけにしている。

 アスカルゴルタに評価された18歳の中村は開幕2戦目から起用されている。どんな影響を受けたのかを尋ねると、彼は苦笑いを浮かべた。

「最初はサテライトで修行するのかと思っていたら、アスカルゴルタさんは使ってくれた。ただ、ミーティングで試合の映像を流すんだけど、いつも自分の悪いところのシーンばかり出てくる。

 まあ、俺も18歳で若かったからね。スタッフの人に『どうして俺ばかり』とこぼしたら『ベテランのミスは見せられないから仕方ないよ』と言ってくれたけど、なかなか納得できなかった。

 でも試合をやっていくと、『あっ、またこのシーンは映像で使われるな』って感じる。と同時に、これが良くないプレーなんだと理解できた。今ならば、アスカルゴルタさんはきっと『映像を見て、自分で気づけよ』というメッセージを送ってくれていたんじゃないかと理解できる」

監督と握手しないで戻ることも。

 当時の中村はアスカルゴルタに対して、もう1つ納得できないことがあった。

 それは途中交代。

「最初は途中出場で入っていくことが多くて、そのうちに先発で起用されて。でもゴールとか、アシストとか結果を出しても決まって60分、70分で交代させられる。確かに体の線は細かったけど、自分としては体力がないってレッテルを貼られているみたいで納得がいかなかった。

 交代を告げられてベンチに座ると、明らかにぶすっとしていたし、今じゃ絶対に許されないけど、監督と握手をしないでロッカーに戻ったこともあった。でもそれに対してアスカルゴルタさんは何も言わなかった」

【次ページ】 監督は何も言わず、中村を使い続けた。

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