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DVでの出場停止から復帰した同僚を
迎え入れたカブスとダルビッシュ。
posted2019/05/18 11:30
text by
ナガオ勝司Katsushi Nagao
photograph by
AFLO
Second Chance=セカンド・チャンス。
2度目のチャンス。出直し。改心。
5月8日の水曜日、ダルビッシュ有投手がプレーするシカゴ・カブスに、アディソン・ラッセルという名の内野手が復帰した。
それはマイナーリーグへの降格や怪我からの復帰ではない。Domestic Violence=家庭内暴力による出場停止処分からの復帰だった。
ラッセルは1994年1月、メキシコ湾に面したフロリダ州ペンサコラ市で生まれた。
高校時代、18歳以下の全米代表に選出されて環太平洋選手権で打率4割近くを打ち、同代表の金メダル獲得に貢献した。
当時、同代表には現アストロズのアレックス・ブレグマン三塁手、現レンジャーズのジョーイ・ギャロ外野手、ロッキーズのデイビッド・ダール外野手、現カブスの同僚アルバート・アルモーラ外野手などの「未来のメジャーリーガー」も大勢いたが、ラッセルは環太平洋選手権の決勝、対カナダ戦で満塁本塁打を打つなどして、とくに目立った存在だったという。
中島宏之「ショートの子、見てください」
迎えた2012年のドラフト。ラッセルはアルモーラ(全体6位)、ダール(全体10位)に次ぐ全体11位指名を受けてアスレチックスに高卒新人として入団した。今はアストロズの主軸となっているブレグマンは全体901位指名を蹴って、ルイジアナ州立大学に進学後、2015年の全体2位指名で同球団にプロ入りしている。
ラッセルはプロ・デビューのルーキーリーグで打率4割以上、昇格したシングルA級でも打率3割以上を打って、新人選手の育成に定評のある同球団で「有望株」ランキングの上位に上り詰めた。
2014年、ラッセルが傘下のAA級ミッドランドでプレーしていた頃、彼に会うチャンスが会った。それは当時のミッドランドに中島宏之内野手(現巨人)がいたからだ。
取材のために彼らにとっての遠征地ノースウェス卜・アーカンソーに行くと、当時、本来の遊撃ではなく、主に二塁を守っていた中島がこう言ったのを記憶している。
「ここのショートの子、見てください。本当に凄いですから」