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田臥勇太が語るNBAとスラムダンク。
平成バスケブームの「かっこよさ」。
text by
村岡俊也Toshiya Muraoka
photograph byTakuya Sugiyama
posted2019/04/25 10:00
流川と仙道という天才同士の1対1や、言葉によらない対話ができる関係性が好きだと田臥は言う。
ファッション誌の表紙がジョーダン。
当時、中高生向けのストリートカルチャー誌「Boon」においてジョーダンのインタビュー記事などを担当し、のちにNBA中継の解説を務める北舘洋一郎は、最も人気のあったクラブのひとつ「芝浦GOLD」で毎週金曜日の夜にバスケ大会が行われていたことを覚えている。原宿の交差点付近にもNIKEが運営するストリートバスケのコートがあったという。
「'96年にジョーダンが初めて日本に来たときには、横浜アリーナが超満員でした。日本では、NBA=ジョーダンでしたよね。僕は日本でのバスケットボールブームの中心は、スニーカーだったと思っています。ファッションと結びついたからこそ、大きなムーブメントになったんだと」(北舘さん)
ちなみに「Boon」'93年1月号の表紙はジョーダンだが、5月号は観月ありさ、6月号は森高千里である。いかにNBAプレーヤーがアイドル的な人気を博していたかが理解できる。
桜木&流川のバッシュを見てみると。
バスケがスタイルを持った“かっこいい”スポーツであることを示したのも、『SLAM DUNK』の功績だと田臥は言う。
「もちろんプレーのスタイルもそうなんですが、バッシュやユニフォームの捉え方みたいなものが、本当にかっこよかったですよね。どのキャラクターが、どのバッシュを履いているのかってチェックしていましたからね(笑)。
こいつはこういうタイプなんだって、バッシュを見ればわかるんで。たとえば桜木は、ジョーダンを知らないでエア・ジョーダン〈I〉を履いているとか、流川楓は本当にジョーダンが好きだから〈V〉を履いているとか」
'96年に秋田県立能代工業高等学校に入学した田臥は、高校がNIKEと契約をしていたために最新のバッシュを履くことができていた。スニーカーブームが過熱し、なんと部室に泥棒が入って、バッシュがすべて盗まれる事件まで起こったという。
NBAと『SLAM DUNK』とファッションが渾然一体となって、時代の空気を醸成していった。これらの要素が同時期に存在していたからこそ、あれだけの熱狂的な“ブーム”が起こったのだろう。