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“高校サッカーの元スター”の岐路。
小屋松知哉はサンガの顔となれるか。
posted2019/03/30 07:00
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Takahito Ando
プロサッカー選手にとっての「価値」とは何だろうか。
どんなに過去に凄い成績を残しても、話題の的になっても、結局は「今」が重要になってくる。今、活躍できているか、結果を残せているのか。逆に過去の実績が今も“代名詞”になっているようでは、その価値が上がっているとはいえない。
これをはっきりと口にしたのが、京都サンガのMF小屋松知哉だった。
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小屋松と言えば、今から6年前の第91回全国高校サッカー選手権大会に京都橘の2年生エースストライカーとして出場し、当時3年の仙頭啓矢(現・京都)と最強2トップを組んで、大暴れをした選手である。当時、学校としては2度目の出場ながら決勝まで勝ち進み、京都橘の名とともに、強烈なインパクトを残した。
高3となった翌年の大会でも、名古屋グランパス内定を引っさげて活躍。ベスト4という成績を残した小屋松は、まさに高校サッカー界のスター選手だった。
プロ入り後は苦悩が続く。
2014年に鳴り物入りで名古屋に加入すると、4月のJ1第6節・サンフレッチェ広島戦で早々にリーグ戦デビュー。上々のスタートを切ったかに見えた。だが、その試合で左膝前十字靭帯断裂の大怪我を負い、残りのルーキーイヤーをリハビリに費やすことになる。
復帰した2年目はリーグ22試合に出場。開幕戦となった松本山雅戦でリーグ戦初ゴールをマークするなど、“期待”を抱かせる活躍を見せたが、3年目は出番が激減。'17年に故郷である京都への完全移籍を決断した。
その年、リーグ戦38試合に出場、ゴール数はキャリアハイとなる8。続く昨年はリーグ戦36試合に出場し、5ゴールを記録。個人としては上々の出来ではあったが、チームはJ1昇格はおろか、一時はJ2最下位を経験するなど、チーム史上最低の19位でフィニッシュ。貢献できた、とは言い切れない状況だった。
「正直、高校の時から比べると、選手としての価値は下がっていると思います。少なくとも上がってはいない。3年前にサンガにきましたが、まだ目に見える結果を出せていないですから。いろんな人と話しても『高校の時に観ていたよ』とか『橘の時は凄かったね』と。プロ入りしてから1、2年目まではそれが当たり前だと思っていたのですが、3年目あたりから、嫌だなと感じるようになりました。
プロの立場として、それが未だに出るということは、高校の時以上のインパクトを残せていない証拠。本当にそれが悔しいし、このままでいいわけがないと思っています」