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新しい地図・香取慎吾×上地結衣。
「ゾーンが来なくても今が一番強い」
posted2019/03/28 07:00
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph by
Takuya Sugiyama
Number973号(2019年2月28日発売)の連載から全文掲載します!
香取 1月の全豪オープン、準優勝おめでとうございます!
上地 ありがとうございます。でも、かなり悔しい結果でした。
香取 決勝で戦ったのはオランダのディーデ・デフロート選手。手強い相手なんですか?
上地 はい、彼女とはここ1年くらい、ずっとライバルというか、2人で出た試合はどちらかが優勝するような状態です。でも、全豪オープンは「いけるな」と思っていたんです。
香取 そうなんだ。でも試合中に「あれ、なんか思っていたより強いぞ」と?
上地 完全に対策で上をいかれてしまったんです。昨年末の大会で彼女と戦って負けたときに、このままではずっと勝てないなと思い、そこから1カ月弱、狙われたバックハンドでの返球を中心に戦略を練って練習してきました。その成果で全豪の前週には勝てたのですが、全豪ではさらにデフロート選手が新たに戦略を立ててきて、今度は私が対応できなかったんです。
技術と体力、そして頭脳戦。
香取 技術や体力だけの勝負ではなく、頭脳戦ですね。上地選手は対戦相手ごとに戦法を変えているんですか?
上地 私は海外の選手と比べると、身体も大きくないし、パワーも足りません。だから相手によって戦い方を変えていかないと勝てないんです。
香取 そういう頭を使っているアスリートのお話、大好きです。ちなみにデフロート選手はどんなタイプ?
上地 彼女は男子選手並みのパワーを持っています。だからパワーだけでも押し切れるはずなのに、海外選手の中では珍しくとても練習熱心。戦略性も兼ね備えていて、東京パラリンピックでもライバルになりそうです。
香取 上地選手は2014年に20歳で世界ランキング1位になっていますよね。20歳で世界女王ってすごすぎる……。車いすテニスはいつから始められたんですか?
上地 11歳くらいからです。私は生まれつき、二分脊椎症という神経の病気を持っています。小さい頃は歩けていたのですが、成長とともに足が自分の身体を支えきれなくなり、小学校4年生のときに車いす生活になりました。体を動かすことが大好きだったので、体育の授業にみんなと同じように出られないことが悔しくて。テニスを始める前は、車いすバスケを1年くらいやっていましたが、その後、姉が中学校で軟式テニス部に入ったのがきっかけで、「私も!」と車いすテニスを始めました。