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イチローに人生を当てはめた男。
ホークス上林誠知が貫く51番への愛。
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byGetty Images
posted2019/03/26 17:30
上林誠知は3月の侍ジャパンでも背番号「51」を背負い、1試合目は1番バッター、2試合目は主軸の5番で先発出場した。
人生をイチローさんに当てはめて。
「僕は自分の人生を、勝手にイチローさんに当てはめていた。小学生の頃、最初はピッチャーをやっていたけど肘を壊してしまいマウンドに立つのを諦めました。中学校の3年間もずっと痛くてロクに投げられなかった。
その頃、イチローさんの本を読んだら、あの人も高校2年生の頃だったか、交通事故に遭ってしまいピッチャーを諦めないといけなくなったと書かれていたんです。
また、イチローさんは小柄だったことで周りから『オマエなんてプロになれるわけがない』と言われて、その反骨心でやって来たとも書いてありました。僕も『肘が痛いオマエがプロなんてなれるわけがないだろう』と周りに思われていたと思います。
直接言われたとかではないけど、そういうのを感じていました。オマエら、見てろよ。その思いでやって来たところは似ているのかなと思っています」
「実は高校時代も背番号51を」
そして、背番号51に関する逸話も披露してくれた。
「じつは(仙台育英)高校時代も背番号51をつけていたんです。ウチの高校は練習試合用のユニフォームでは自由に背番号を選べたんです。ただ一応、50番以内でという決まりがあったんですが、僕はどうしても『51』をつけたかったのでお願いして認めてもらっていました。
プロ入りが決まってホークスと契約をした時、51番を提示してもらえた時は本当に嬉しかったです。最近は『自分で希望したの?』と聞かれることも多いんですが、僕はそんな立場ではなかったので。球団の方にもそのような期待をしてもらえたのは嬉しかったし、51番はやっぱり今でもモチベーションになります」
3月21日、上林はイチローのラストプレーをヤフオクドームのウエイトトレーニング室のテレビで見つめていた。「あの人は楽勝だと思う。試合に出れば絶対打つ。スタンドに放り込むんじゃないですか」と予測をしていたが、現実は甘くなかった。