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まさにイチローの時代だった「平成」。
彼はいつ国民的大スターになったか。
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byAP/AFLO
posted2019/03/25 18:10
イチローがNPBやMLBを越えて、世界に発信したWBCという大会。野球を通して、イチローを通して、日本がひとつになった。
「昭和の長嶋」と「平成のイチロー」。
映画『走れ!イチロー』で描かれた、近所の球場に行けば天才バッターが普通に見られた幸せな時代。周囲のファンはその姿に日々を生き抜く元気を貰っていた。
この映画では関西空港から渡米する希望に満ち溢れた表情の27歳・鈴木一朗も映し出されるが、そこから続く長い旅の終着点は東京ドームだった。
2019年3月21日、マリナーズvs.アスレチックス。
背番号51の現役最終試合に詰めかけた4万6451人の大観衆は、それぞれ28年分のイチローのプレーと自らの平成史を思い出したことだろう。試合終了30分以上経過して姿を現し、グラウンドを一周する様子は、まるで45年前に後楽園球場で引退試合を行った背番号3のミスタープロ野球のようだった。
ひとつの時代の終わり……いや、正確に言うとイチローは時代そのものだった。そういうプロ野球選手は、長い球史において、「昭和の長嶋茂雄」と「平成のイチロー」だけだと個人的には思う。
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