ぶら野球BACK NUMBER
まさにイチローの時代だった「平成」。
彼はいつ国民的大スターになったか。
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byAP/AFLO
posted2019/03/25 18:10
イチローがNPBやMLBを越えて、世界に発信したWBCという大会。野球を通して、イチローを通して、日本がひとつになった。
あらゆる所で拍手と歓声が鳴り響いた!
当時、自分が勤務していた化粧品会社でも、日頃はプロ野球にほとんど関心を示さない人たちが、この日ばかりは社内でそれぞれ携帯電話のワンセグ片手に野球観戦。普段なら「就業中のケータイ使用禁止」なんつって叱り役の上司も一球ごとに声を上げて声援を送る風景。
3対3の同点で迎えた延長10回表2死二、三塁でイチローがセンター前2点タイムリーを放った瞬間は、部署の垣根を越えフロア全体から拍手と歓声が鳴り響いた。
最後の最後、日本に帰ってきてくれたイチロー。
この大会、打撃不振に苦しんだイチローは決勝戦の大一番で4安打を固め打ちして、最終的にはチーム最多タイの12安打を記録。しかし大会終了後、所属のシアトル・マリナーズに合流すると胃潰瘍でメジャー移籍後初の故障者リスト入りへ。
あの天才打者がここまで苦しんでいたのか……。
これまで圧倒的な数字を残し続けてきた男が見せる、人間・鈴木一朗の素顔に多くのファンが共感した。いわばイチローはこの2回のWBCを経て、孤高のスターではなく、みんなのヒーローになったのである。
そして、2019年春――。
45歳のイチローを見るために東京ドームは連日満員の観客が詰めかけた。
入場列で「野球場来るの何年ぶりだろ?」と会話が交わされ、「大学時代にひとり暮らしを始めた年。イチローがリーグ優勝を決めるサヨナラ安打を打ったんだよね」と嬉しそうに話すおじさんの姿。客席にはマリナーズだけじゃなく、日本代表やオリックス時代の51番ユニフォームを身につけたファンも目立つ。
最後の最後にイチローは日本のファンの元に戻ってきてくれたのだ。