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保育士志望の大学生が金メダリスト。
佐藤綾乃が振り返る奇跡の4年間。 

text by

矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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photograph byAsami Enomoto/JMPA

posted2019/01/03 16:30

保育士志望の大学生が金メダリスト。佐藤綾乃が振り返る奇跡の4年間。<Number Web> photograph by Asami Enomoto/JMPA

平昌五輪の女子チームパシュートでは高木姉妹とともに決勝に出場し金メダルに貢献した佐藤(右から2番目)。

平昌を意識したのは本番直前。

 ジュニア時代に見せていた、他の選手に合わせる滑りのうまさが評価されての大抜擢。だが、最初は練習についていくことができず、涙を流す日々だった。しかし、トップスケーターとともに滑る環境に身を置いたことで、意識から何からすべてが変わっていった。

 それでも、ナショナルチームに入ってから半年が過ぎた'16年10月にはまだ、五輪への強い気持ちを言葉にするまでには至っていなかった。

「オリンピックという目標はまだ大きすぎます。今は世界距離別に出たいという気持ちが大きくなってきたところです」

 そんな話しぶりから、本気で五輪を意識する言葉が出るようになったのは、平昌五輪シーズンの始まりだった'17年10月の全日本距離別選手権のとき。佐藤は初めて緊張に押しつぶされそうになるという感覚を味わったことを吐露した。

「自分はあまり緊張する人じゃないと思っていたのに……。少しハマらないだけで悪い方に考えてしまって、いつも以上にナーバスでした。去年は何もプレッシャーがなかったんですけどね」

デビットコーチからの進言。

 それでも目の前の練習メニューに必死に取り組み続けた結果、経験豊富なメンバーたちの中で徐々にポジションを高めていき、代表選考会を経て出場を決めた平昌五輪では重要な役どころを演じるまでになった。

 決勝レースでは、練習での佐藤の好調ぶりを見ていたヨハン・デビットコーチから、先頭を滑る距離をそれまでの1.5倍に増やすように指示された。公式戦で一度も取ったことのない作戦だったが、佐藤はコーチの期待に見事に応え、チームは金メダルを手にした。

 ポスト平昌五輪の今季は、大学4年生ということで就活も行なった。佐藤はJOCが実施しているトップアスリートの就職支援ナビゲーションシステム「アスナビ」を利用し、'19年4月にANAに就職することが決定した。

「スケートをやっている以上、保育士はできないので」と言いながら、「その道に進むことは、少なくともあと4年は考えられない。スケートが終わってからというように考えたいですね、もしやるとするならば……」と笑みを浮かべ、さらに言葉を継いだ。

【次ページ】 スケートも、幼稚園実習も。

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