“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
横浜FCと瀬沼優司がJ1を逃して涙。
東京V戦、終了間際の2つのプレー。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2018/12/07 07:00
2007シーズン以来のJ1返り咲きを果たせなかった横浜FC。瀬沼優司も奮闘していたが……。
本人はどう思っていたのか?
試合後、瀬沼は目に涙を浮かべていた。アディショナルタイム、彼が選択したプレーについてどう思っていたのか?
まずは3分のシーンだ。
「正直、それ(倒れたらPKになると)は思いました……だけど、持ちこたえて、プレッシャーを感じながらでもシュートを打った。そこは結果論ですが、賢さが足りなかったのかなと。でも、あそこで足をかけられてバランスを崩しても、しっかりと決めきれなかった自分の未熟さ、足りないところだと思います」
彼の無念さが痛いほど伝わる。4分の場面についてはこう振り返った。
「一瞬サイドに流れてキープするのも頭をよぎりましたが、チームとして“最後の5分くらいまでは、攻められるチャンスがあればいこう”という共通理解だった。ただ、個人の判断でキープしてもよかったのかもしれません。アドバンテージを考えたら……その難しさは凄くありました」
瀬沼の判断は責められない。むしろ彼が居なかったら、横浜FCはもっと苦戦していただろう。“たられば”だが、引き分けで終わっていたら、この試合の殊勲者だった。
だが、プロの世界は結果がすべて。残るのは結果が得られなかったという、あまりにも残酷な事実だ。
「大学を卒業してエスパルスに入りましたが、J2の長い旅に出てから、今もそれが続いている。今回はチャンスだったし、僕自身も今年に勝負を懸けてきた……。でもこれが現実だし、今の実力なので受け入れて、また来年コツコツとやっていきたい」
そう語ると、瀬沼は涙を指で拭った。
もう1回、J1でプレーしたい。
プロ7年目。彼の中で強い想いがある。
「もう一度、J1でプレーしたいんです。毎年どのチームに行っても“J1に昇格させて、僕自身もJ1に戻りたい”という気持ちでやっています。それは山形、愛媛でも叶いませんでしたが、その気持ちだけは絶対に失くさないようにして、自分を奮い立たせている。だからこそ、今年はJ1に戻りたかった。とにかくもう1回勝負したいんです。
エスパルスのときは少しプレーしましたけど、周りに言われることをやっているだけで、自分の考えに基づいていなかった。新鮮さはありましたが、プロ選手として自立できず、納得いかないプレーのままだった。今こうしてキャリアを重ねたことで、自分でしっかりと考えながら、自信を持ってプレーしているので、“その先”を見たかった。凄く残念ですが、その想いだけは切らさないで来年も勝負したい」